遠江 掛川城(掛川市)

本丸虎口付近から見上げる再建天守閣

今川氏の支城、後に山内一豊が入封、最後は太田道灌の子孫が明治を

別名

雲霧城、松尾城

所在地

静岡県掛川市掛川

形状

平山城

現状・遺構等

現状:掛川城公園 【県指定史跡】
遺構等:二の丸御殿(現存)、太鼓櫓(復元)、天守(復興)、大手門(復元)、大手門番所(移築現存)、霧噴の井戸、石垣、堀、土塁、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

1990/02/04
2004/06/29
2007/05/27

歴史等

掛川城は、戦国時代の文明年間(1469~86)、駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として、重臣朝比奈泰熙に小高い山(天王山)に掛川古城を築かせたのが始まりと云われている。その後拡張・強化が進められ、子の泰能が城の南西方の龍頭山に新城を築造した。
永禄11年(1568)今川義元の子・氏真は、武田信玄に駿河を追われ掛川城に立て籠もった。
翌年、徳川家康は掛川城を攻め、長期の末、開城させた。家康領有後、重臣石川家成が入城し、対武田氏の防御の拠点となった。
家康が関東移封後、山内一豊が入り、城の改築や城下の整備を行うと共に、龍頭山に天守閣を造った。
慶長5年(1600)、関が原の戦いに際し、一豊は、西上する徳川軍に城を開放。この功によって戦後、土佐24万石の太守に任ぜられた。
その後、松平・朝倉・青山・本多・北条・井伊・小笠原とめまぐるしく城主が変わり最終的には、太田道灌の子孫・太田資俊(すけとし)が入城し、以後は明治維新まで7代続いた。
嘉永7年(安政元年・1854)の安政の東海大地震により、天守閣など大半が損壊、御殿、太鼓櫓、蕗の門などの一部を除き、再建されることなく明治維新を迎え、明治2年(1869)廃城となった。
平成6年、掛川市民の熱意と努力によって天守閣が140年ぶりに木造により再建された。
『掛川城パンフレット参照』

現況・登城記・感想等

以前、営業をしていた時には、毎週この城の近辺を回っていた。
1990/02/04に家内と訪れた時には、二の丸御殿以外には、本丸腰曲輪跡あたりに石垣や井戸があるのに気が付く程度で、本丸は発掘調査中であった。
(1990/02/04登城時、本丸腰曲輪跡で)

今回、復興天守閣や復元大手門が建ち、大手門番所や太鼓櫓が移築され、また現存二の丸御殿(江戸時代、藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建物で見応えがある)の見学も出来、素晴らしい城址公園になっていた。
また、掛川駅前から城址にかけて、城下町の雰囲気を漂わせた町並みになっており、市と市民が一体となって努力しているのがよく分かる。
この天守を再建するに際しては、天守台の遺構・幕末の絵図(御天守台石垣芝土手崩所絵図・遠江国掛川城地震之節損所覚図)・正保の絵図(遠州掛川城絵図)・高知城(江戸時代末期の再建ではあるが、一豊の創建天守に近いものであると考えられている)・安土桃山時代の城郭との比較研究等々をもとに、かなり忠実に設計されたとのことである。ただ掛川城の古絵図を見ると天守の壁は下見板張であるにも関わらず、完全に白壁としたそうである。確かに、白壁の天守は青空に映えて美しいかもしれないが、折角、そこまで忠実に復元するのであれば、下見板張にして欲しかったと思うのは私だけだろうか?
(2004/06/29訪城して)


天守が再建されてから、2度目の登城である。市営大手門駐車場の近くに一ノ大手門が再建されている。前回、うっかりして見忘れていたようだ。大手門近くの大手橋から眺める城はなかなか絵になると共に、逆川が天然の堀になって、なかなかの要害の地であったのが想像出来る。
天守上からは、全方角の眺望が眺められ、掛川の町並みのみならず遠くの山並みまで眺めることが出来る。また、この城の前に先に登城した、「掛川古城 (龍華院)」が二の丸御殿のすぐ向こうに見える。
掛川は、若かりし頃10年以上もの間、毎週訪れていた所であり、私にとっては本当に懐かしい所である。
(2007/05/27登城して)


【大名の御殿】
大名の御殿で現存しているのは、掛川城の他には、二条城高知城川越城だけで、二の丸御殿が現存しているのは、この掛川城の他には二条城で、本丸御殿で現存しているのは、高知城川越城だけである。また、完全な形で残っているのは、この掛川城だけとのことである。

【掛川城の天守】
掛川城天守は木造で本格的に再建されているが、ある程度判っている江戸後期の外観ではなく、高知城を参考にして創建当初の様子を再現しているらしく、復元天守とは云えないようだ。高知城を参考にした理由は、どちらも山内一豊によって建てられたからという事らしいが・・・?

ギャラリー

掛川駅から城への町並み
掛川駅前から城址にかけて、城下町の雰囲気を漂わせた町並みになっており、市と市民が一体となって努力しているのがよく分かる。以前(1990年頃)、仕事で毎週来ていた頃とは、すっかり様変わりをしていて本当に驚いた。

天守閣(復興)

大手門(復元)
掛川城復元大手門

大手門(移築現存) ~油山寺山門~
大手門は、袋井市にある「油山寺」の山門として、移築現存している。
掛川城移築大手門

大手門番所
平成7年大手門復元に伴い、当時の地に移築された。

二の丸御殿

二の丸御殿と天守閣

太鼓櫓で時を知らせていた大太鼓 (二の丸御殿玄関に展示)

二の丸御殿内

天守曲輪の霧噴き井戸
永禄12年(1569)徳川家康に攻められたとき、この井戸から立ち込めた霧が城をつつみ、攻撃から守ったという伝説がある。

天守閣から①
右下に二の丸御殿、左やや上の森が「
掛川古城

天守閣から②
手前に復元された太鼓櫓、向こうは掛川市内

太鼓櫓(復元)
時を知らせる大太鼓を納め、時間になると太鼓を打ち鳴らした。

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