二の丸北側の石垣
黒田長政が豊前への備えとして築いた「筑前六端城」の一つ
所在地
福岡県北九州市八幡西区屋敷1丁目、城山緑地公園
JR黒崎駅の北東約750mにあり、城山緑地公園となっているので分かると思います。山頂部まで車で行けます。
形状
山城(標高63m)
現状・遺構等
【現状】 城山緑地公園
【遺構等】 曲輪、石垣、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2012/11/13
歴史等
この山(道伯山)に初めて砦を築いたのは、天慶2年(939)、朝廷に背いて瀬戸内海に兵をおこし敗れた藤原純友との伝承もあるが、定かではない。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌6年から福岡城の築城にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため同15年(1610)までの間に、この黒崎城をはじめ若松城(中島城)、大隈城(益富城)、鷹取城、小石原松尾城、左右良城の「筑前六端城」を築いた。
そして黒崎城には黒田24騎の一人、井上周防之房を城主として任じた。しかし元和元年(1615)の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。
のち元文3年(1738)、この城の石垣は新田開作(現在の黒崎駅付近)のための護岸に使用された。今では山頂に石垣がわずかに残るのみである。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
黒崎城址は、城山緑地公園として整備されすぎていて、二の丸周囲に残る石垣以外に城らしさを感じない。
城の縄張りは、山頂部に広い本丸があり、その北側一段下に二の丸、更に一段下に三の丸(駐車場部分)となっている。ただ、日本城郭大系には、本丸は東西に長い長方形になっているが、どうみても南北の方が長いような気がするが、おそらく公園化にあたって、かなり改変されたのであろう。
いずれにしても、残念ながら、往時を偲ぶには程遠い現状でした。
(2012/11/13登城して)
ギャラリー
三の丸から二の丸・本丸方面を
黒崎城址は北九州市の市街地の中にある小さな小山で、城山緑地公園となり山頂部まで車で登ってくることができる。駐車場の辺りが、三の丸跡になる。写真奥が二の丸・本丸方面になり、工事用のプレハブ建物の上が二の丸になる。
二の丸北西部下
車を停めて本丸へ向かうと、左手に二の丸があり、石垣が確認できる。
二の丸北側の石垣
二の丸北側は2段の石垣で固められている。これらの石垣が、当城址で唯一のまとまった遺構といえるものです。
二の丸北側上の段(北西部)の石垣
二の丸脇(西側)から三の丸方面を
二の丸脇から本丸へ向かう途中に、二の丸へ登る道があるが、その辺り(写真右)に枡形虎口があったのかも?
本丸
本丸は二の丸より僅かに高く、相当な広さだ。ただ、日本城郭大系には、本丸は東西に長い長方形になっているが、どうみても南北の方が長いような気がするが、おそらく公園化にあたって、かなり改変されたのであろう。
帯曲輪と石垣?
本丸の西側と東側下には帯曲輪跡のような、細長い削平地があり、石垣が崩れたような形跡がある。
石碑
本丸の西側には大小2基の城址碑が立っている。どうでもいいことですが、小さいのが新しいようだが、わざわざ造る必要はあったのでしょうか? 石碑の背後の少し盛り上がっているのは土塁跡でしょうか?
本丸から北東部の眺望
北東方面には若松港があり、その向こうに若戸大橋が見える。今は、洞海湾改修工事により埋もれてしまっているが、筑前六端城の一つ「若松城」があったそうで、まさに点ではなくて線で防御を固めていたのが分かる。
本丸から南方面の眺望
南方面には、(先程登った)花尾城が見える。