筑前 若松城(北九州市)

黒崎城跡から若松城が築かれた若松口一帯を

「筑前六端城」の一つで豊前国境の若松口押さえの城

別名

中島城

所在地

福岡県北九州市戸畑区中島

形状

山城

現状・遺構等

【現状】 市街地
【遺構等】 なし

満足度

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歴史等

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌6年から福岡城の築城にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため同15年(1610)までの間に、この若松城をはじめ黒崎城大隈城(益富城)、鷹取城、小石原松尾城左右良城の「筑前六端城」を築いた。
六端城のすべてにいえることであるが、特に、当城は豊前との国境である。若松城には舟手衆であった三宅三太夫を城主として任じた。
しかし元和元年(1615)の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。
尚、城主の三宅三太夫はその後も若松口の抑えとして当地に残ったという。
『「平成20年5月号別冊付録・織豊系城郭見どころ事典」、「日本城郭大系18」参照』

現況・登城記・感想等

若松城は洞海湾の入り口付近の中島という小島に築城されていたようだが、明治14年10月、洞海湾修築工事のうちの港湾計画の一環として島が全面的に削平され、現在では、遺構はおろか正確な位置すらもよく分からないという。
黒崎城址から洞海湾の入り口である若松港から若戸大橋にかけて眺めることで、よしとするしかなかった(/。ヽ)。
(2012/11/13)

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