筑前 左右良城(朝倉市)

山麓の柿畑から左右良城跡を見上げる

「筑前六端城」の一つで、唯一筑後との国境にある城

読み方

まてらじょう

別字

麻氐良城(まてらじょう)、麻底良城(まてらじょう)とも

所在地

福岡県朝倉市杷木志波
【アクセス】
円清寺を右手に見て通り過ぎ、普門院を目指す。さらにその先に進んで行くと麓にある麻底良神社へ出、駐車場がある。但し、普門院から先は、道(柿畑へ入って行くことになる)も狭い上に、駐車場も狭いので、普通車以上の場合は普門院に駐車した方が良いと思います。
円清寺:朝倉市杷木志波5276、電話0946-62-0803
普門院:朝倉市杷木志波政所、電話0946-62-0288

所要時間

山麓の麻氐良神社から20~25分

形状

山城(標高295m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、石垣、石碑

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2012/11/14

歴史等

左右良城は秋月氏が築いた山城で、喜津瀬因幡・主水を城番として置いていた。戦国時代末期には秋月氏の杷木方面の拠点的城郭で、天正9年(1581)に秋月種実が大友氏と原鶴ヶ原(大分県玖珠町)で戦った際の詰の城である。
天正15年(1587)、豊臣秀吉の九州平定後には、小早川隆景、隆景の家臣が在城した。
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は、翌6年から福岡城の築城にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため同15年(1610)までの間に、この左右良城をはじめ若松城(中島城)黒崎城大隈城(益富城) 、鷹取城、小石原松尾城の「筑前六端城」を築いた。そして左右良城には栗山利安に1万5千石を与えて配した。
しかし元和元年(1615)の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。
尚、黒田家と細川家の不仲説を暗示するように、「筑前六端城」は豊前(当時は細川領であった)との国境に築かれているが、この左右良城だけは、筑後との国境にある。
『「平成20年5月号別冊付録・織豊系城郭見どころ事典」、「日本城郭大系18」参照』

現況・登城記・感想等

「左右良城」或いは「麻氐良城」と書いて「まてらじょう」と読む。何とも奇妙な名前であると同時に、なかなか読めないですよね。それだけに、同じ「筑前六端城」の中でも妙に興味をそそったのですが・・・・・。
左右良城のある杷木は柿の名産地だそうだ。私が訪れたのは、丁度、その収穫期であった。
いろんなサイトで場所を調べて城跡の山麓にある麻底良神社へ向かったら、普門院の辺りから道はどんどん細くなっていき、更には、柿畑の中へ入って行き、車の両側には柿の木の枝が・・・・( ̄ー ̄;。
そして、やっと神社に着くと駐車場があったが、その入口の狭いこと、おまけに両側に石が置かれている。柿畑の中の道もそうだが、この駐車場も明らかに軽自動車用だろう。四苦八苦して何とか入庫したものの・・・・・。車は普門院に停めて登城するのが正解のようです。
神社の中を通り、城跡へ向かうと、またまた柿畑です。その中を通って行くと、今度はかなりの藪で道を間違えたかと思いきや、藪の中を突っ切ると、登山道が現れてほっとする。
そこからは、結構な坂道を登ること20分弱で本丸跡に辿り着く。この間、城の遺構らしきものといえば、ちょっとした石垣があったが、それも往時のものかどうかは分からない。
また、本丸跡も、ただ神社が祀られているだけで、遺構らしきものといえば、神社奥に僅かに石垣の一部が残っているだけです。
期待は、すっかり裏切られ、「車は満身創痍」という結果だけが残りました(/。ヽ)。
(2012/11/14登城して)

ギャラリー

麻氐良城神社の前に立つ城址碑
柿畑を通り抜けると、麻氐良神社前へ出る、神社への入口に「左右良城跡」と刻まれた城址碑が立っている。ここが、登城口で、神社の中を通って行く。
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神社内の登城道
神社入口には城跡への案内板がないので、心配になってくるが、神社の中に「↑登山道 麻氐良山」の案内板が立っていて一安心。
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柿畑
神社を通り抜けると、またまた柿畑が・・・。その向こうに左右良城跡が見える。
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薮!
柿畑を通り抜けると、今度は、かなりの藪が・・・。
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眺望
左右良城跡は、本丸などからの眺望はよくないが、皮肉なことに、藪の中からだけ、唯一眼下の景色が広がっている。
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登山道
しばらく薮の中を突き進んでいくと、やっと登山道が現れほっとする。ここから、山頂の本丸跡までは、結構、坂道が急である。
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石垣遺構?
山頂近くに、こんな石垣を見掛けたが、当時の遺構かどうかは不明です。ただ、最近のものにしては積み方が稚拙だが・・・?
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本丸跡へ
山麓の神社から登ること25分ほどで、本丸跡の山頂部へ到着。本丸跡は2段になっている。
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本丸跡
本丸跡には、神社が祀られている。
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石垣
神社の奥に、石垣の一部が残っている。これが唯一の遺構らしいもののようだ。尤も、西尾根沿いの竹藪の中は分からないが・・・。竹藪の中は、とても入って行けるような状態ではなかったので突入は断念しました。
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