相模 衣笠城(横須賀市)

本丸脇に立つ城址標柱

相模の名族三浦氏本拠の地、衣笠合戦の地

所在地

神奈川県横須賀市衣笠
大善寺(横須賀市衣笠756)の裏山

形状

山城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、井戸、石碑、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2007/09/24

歴史等

源頼義に従って前九年の役に出陣した村岡(三浦)平太夫為通が戦功によって三浦の地を与えられた。衣笠城は、 為通により三浦の中心地である要害堅固なこの地に、大谷戸川と深山川を自然の堀として、康平年間(1058~1064) に築城されたといわれ、以後、為継・義継・義明の4代にわたり三浦氏の本拠として、三浦半島経営の中心地であった。南には佐原城と大矢部城、 北には小矢部城があり、これらを総称して衣笠城とも言ったらしい。
治承4年(1180)8月三浦氏は、源頼朝の旗揚げに呼応して伊豆に向かった。頼朝は石橋山合戦で敗れ、真鶴岬から海路、安房へと逃れた。 三浦軍はこの合戦には間に合わずこの城に引き返すこととなった。そしてこの城に平家側(畠山・河越・江戸氏らの秩父平氏一党) の大軍を迎えての攻防戦(衣笠合戦)となり落城した。
この時89歳の城主三浦大介義明は、自分一人がここに残り、子の三浦義澄、孫の和田小太郎義盛等の三浦党一族他のものは生きて、 源頼朝と行動を共にするよう命じた。義澄らは脱出に成功し、久里浜から海路を安房へと向かい頼朝と合流した。 態勢を整えた頼朝は1ヶ月後には念願の鎌倉入りを果たした。
鎌倉幕府成立後、三浦一族は、幕府創業の功臣として幕府内に重きをおくこととなり、この城はまた三浦氏の本拠となるが、鎌倉時代の宝治元年 (1247)、宝治合戦(執権北条氏が御家人三浦氏の一族を滅ぼした事件)で三浦党が没落すると廃城となった。
『「現地説明板」、「日本城郭大事典(新人物往来社刊)」等参照』

現況・登城記・感想等

大善寺の裏山が衣笠城址(詰の城)で、大善寺あたりから下が平時の居館だったらしい。
大善寺のすぐ下に駐車場があり、そこまで住宅地の中の細くて本当に急な坂道を車で登って行くことが出来るが、 この坂道が生半可な斜度ではない。登りきれるだろうかと本気で心配しながら運転した。そして同時に、 よくこんな所に住むことが出来るものだと、この辺りの住民の方に感心?(敬服?)した!!ここまで歩いて登ったら、 15~20分はかかるであろう。
駐車場からは、大善寺への石段とは別にその横に衣笠城址への石段があり、その登り口に、「衣笠城址への案内板」と 「見落としても不思議でない非常に小さな、衣笠城本丸遺址と彫られた石碑」が建っている。そこを登った所に説明板が建っており、 そのすぐ横が大善寺である。
そこをさらに進んで行くと右横に今度はそれなりに大きな石碑が建っている。坂道を登り切った平場が本丸跡で、一部土塁跡らしきものがある。 本丸の少し奥(北西)に物見台跡と石碑がある。
物見台の奥(東側)には結構大掛かりな堀切が残っている。堀切の向こう側は一段高くなっており、その上には祠があった。
そこから奥へ尾根伝いに、衣笠山公園への遊歩道(岩道で道の横は結構急崖)になっているが、時間の関係もありここで引き返した。
(2007/09/24登城して)

ギャラリー

登城道(大善寺駐車場から撮影)
駐車場からは、大善寺への石段とは別にその横に衣笠城址への石段がある。

㊧小さな石碑、 ㊨案内板
石段の登り口に、「衣笠城址への案内板」と「見落としても不思議でない非常に小さな、 衣笠城本丸遺址と彫られた石碑」が建っている。
 

衣笠城址説明板と石碑(階段上奥)

大善寺(この辺りから下が平時の居館跡であったと思われる)

㊧本丸跡、 ㊨本丸跡に建つ石碑
本丸跡へは、駐車場から1~2分ほどで着く。それほど広くはなく、真っ平ではない。奥(北) の方には説明板と「三浦大介公義明800年記念碑」が建つ。

 

土塁跡
本丸東側には土塁が残り、その奥は急崖になっている。9月24日の登城でもあり、彼岸花が。

物見岩
本丸奥(北西部)頂部には物見岩と呼ばれる大岩があり、西側は急峻な谷になっているが、 木々に覆われて眺望は良くない。

㊧物見岩(西側下から)、 ㊨石碑(物見岩横に建つ)
㊧物見岩下からは、大正8年に経筒他が発見されたとのことで、「遺物発掘処」の碑が、㊨物見岩横には 「衣笠城址」の碑が建つ。
 

堀切
物見台の奥(東側)には結構大掛かりな堀切が残っている。堀切の向こう側は一段高い大岩が・・・

大岩上に建つ祠
大岩の上には祠が。こちらは衣笠城頂部とされる物見台よりも一段高い。往時は、 ここから衣笠山公園にかけても衣笠城の一部(小矢部城)であったようだ。

祠から堀切越しに一段低い物見台を

眺望
祠下から奥へ、尾根伝いに衣笠山公園への遊歩道(岩道で道の横は結構急崖)になっているが、 ここからの眺望はなかなか良い。

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