城址に建つ割烹「幸楽園」
源頼朝が兵をおこした時に佐々木守綱により築城、今は鰻屋さんに
所在地
埼玉県さいたま市南区太田窪2235
(名物うなぎ・幸楽園 TEL:048-882-2909)
形状
平山城(台城)
現状・遺構
現状:市街地
遺構等:土塁、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/09/01
歴史等
領ケ谷城(りょうがやじょう)は、佐々木三郎守綱により築城され、太田窪天神山と呼ばれてきた。
平安時代の末期、源頼朝が伊豆に兵をおこすと武蔵武士の多くがその部下となった。
頼朝の武将であった守綱は軍兵を集めるためこの地に出城を造り、嘉永3年(1184)平行盛と戦い、これを打ち破って頼朝から賞詞を受けた。
守綱は、宇治川先陣争いの佐々木四郎高綱の兄である。
室町時代には佐々木持清の居城となり、その後千葉介国胤の所領となった。
『「幸楽園内説明板」、「幸楽園パンフレット」より』
現況・登城記・感想等
領ケ谷城址には、「幸楽園(名物うなぎ・川魚料理)」が建っており、その看板には「旧領ケ谷城址」と書かれいる。また、
その庭園内の池の所には、城址の説明がされた立札が建っている。さいたま市は、鰻の名産地で美味しい店も多いが、
店の看板に城の名前が入っているのはここだけであろう。
当然、好物の鰻である。ここは当然店内へ入って味見を・・・。店員さんの応対も非常に良く、味もまずまず合格点でした。
遺構は特に残ってはいないが、店内座敷から上谷沼(現在は調節池となっている)を見下ろすと、ここが往時は、
それなりに要害の高台にあったことを偲ぶことも出来る。
(2007/09/01登城して)
ギャラリー
「領ケ谷城址」と書かれた鰻屋さんの看板
領ケ谷城址には、「幸楽園(名物うなぎ・川魚料理)」が建っており、その看板には「旧領ケ谷城址」
と書かれいる。さいたま市は、鰻の名産地で美味しい店も多いが、店の看板に城の名前が入っているのはここだけであろう。
庭園内の池
また、その庭園内の池の所には、城址の説明がされた立札(中央奥)が建っている。
領ケ谷城(幸楽園)で出た鰻重
好物の鰻である。ここは当然店内へ入って味見を・・・。店員さんの応対も非常に良く、味もまずまず合格点。
店内座敷からの眺望 ~クリックにて拡大画面に~
遺構は特に残ってはいないが、店内座敷から上谷沼(現在は調節池となっている)を見下ろすと、ここが往時は、
それなりに要害の高台にあったことを偲ぶことも出来る。
土塁
店の裏側下の駐車場(店のではない)へ降りると土塁(土塁というより切岸といった方が妥当か?)
が確認
上谷沼調節池
往時はこの辺り一帯は全てが大変な湖沼地帯で、天然の水堀となっていたのであろう。それどころか、
調節池になっているということは、つい最近まで、ちょっとした大雨で水に浸かっていたのであろう。