武蔵 伝足利基氏館(東松山市)

基氏館東側の空堀跡

初代鎌倉公方足利基氏が岩殿山合戦で本陣を置いたとされる館

所在地

埼玉県東松山市大字岩殿(高坂CCの西側)

形状

現状・遺構等

現状:山林、宅地他
遺構等:曲輪、土塁、堀、標柱、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2008/06/24

歴史等

足利基氏は、室町幕府が関東を支配するための出先機関として開いた鎌倉府最初の公方で、足利尊氏の次男である。
基氏は、支配権を次第に高め、その権力を背景に畠山国清を討ち、基氏の幼少時代から執事をしていた上杉憲顕を関東管領にし、 越後守護職に任命した。それにともない、越後守護職を追われた下野の豪族芳賀禅可は、一族の宇都宮氏綱と謀って、上杉憲顕と敵対した。
芳賀氏討伐に鎌倉を出た足利基氏は、貞治2年・天平18年(1363)に岩殿山で合戦を行い勝利した。この時に布陣したのが、この場所で、 本陣が置かれた可能性が高いと言われている。
しかし、基氏は長期の滞在はせず、すぐに下野に陣を進めている。そのため、この館は合戦の時に基氏が築いたものでなく、 地元豪族が造った館を陣地として利用したものと思われる。
一方、この館は丘陵西斜面に築かれ、東西180m、南北80mもの規模を有し、稜線に大規模な土塁と空堀を築き、 さらに丘陵を横切るように土塁・空堀を配置する平面長方形の館に属するもので、土塁は上幅3~4m、高さ2~3m、空堀は上幅10m、 深さ2~3mの箱薬研堀となった大規模なものであり、岩殿山合戦が行われた時代の14世紀後半は、 小規模な堀に囲まれた方形館の存在が知られるのみで、このような大規模な土塁・ 空堀で囲まれた城郭が出現するのは15世紀に入ってからと考えられていることもあり、この城郭の位置付けはできないとする説もある。
『「現地説明板」、「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館編(さきたま出版会刊)」参照』

現況・登城記・感想等

「伝足利基氏館」は、高坂CCの西斜面にある。東武東上線高坂駅から岩殿方面へ真っ直ぐに伸びた道を西進すると、バス停 「こども自然動物公園」の400mほど手前右側上に「足利基氏館」の案内板が見えるので、そこを右折し500mほど行くと、右側に 「足利基氏の塁跡」の標柱が現れる。
道が狭いので、さらに2~300mほど行った所に、坂上田村麻呂の伝説が残る「弁天池(鳴かずの池)」があり、その前に空地があるので、 そこに駐車するとよい。
登城前は、遺構はほとんど残っていないものと全く期待していなかったが、土塁や空堀の遺構がよく残り、 また高坂CCの西斜面には削平地になった曲輪跡のような雰囲気の林もあり、何か得したような気がした。
それにしても高坂CCといえば、今までに10回以上プレーしたことがあるが、この館跡がこんな近くにあるとは、全然知らなかったなあ!?
(2008/06/24登城して)

ギャラリー

基氏館跡実測図
館は丘陵西斜面に築かれ、東西180m、南北80mもの規模を有し、稜線に大規模な土塁と空堀を築き、 さらに丘陵を横切るように土塁・空堀を配置する平面長方形の館に属するもので、土塁は上幅3~4m、高さ2~3m、空堀は上幅10m、 深さ2~3mの箱薬研堀となった大規模なものである。

基氏館東側の空堀跡
高坂の方から来ると、最初に「足利基氏の塁跡」と書かれた標柱の立つこの堀跡へと出る。 堀の左側を奥へ進むと左側に説明板が設置されている。説明板の図からみると、正面奥の少し高くなった所が物見台であろうか?

物見台?
説明板の図からいくと、写真奥の高くなった所が物見台ということになるが、 そこには池のように少し水が溜まっていたが、どうなんだろう??

基氏館西側の土塁
東側堀跡から西へ150mほど行くと、一軒の家の、この土塁に出会った。家の方がいたので尋ねると、 この土塁が奥の森の中へと繋がる土塁跡とのことだった。こんなに、良好な形で残っているとは思ってもいなかったので得した気分になった。

基氏館西側の土塁と空堀
上写真の土塁外側(西側)から撮影したもので、土塁の外側(左)は空堀跡で、土塁・空堀共に、 奥の森の中まで続いている。

森の中に空堀跡が
上写真の土塁の上を森の中に入り、左側(西側)下を見ると、この空堀(写真左側)がはっきりと残っていた。 写真では分かり辛いのが残念だ。

曲輪跡?
森の中は、強烈な藪になっているが、斜面を削り、ほぼ削平地になっているようで、 曲輪跡なのではと思われるような雰囲気があったが、果たして・・・?

坂上田村麻呂の伝説が残る「弁天池(鳴かずの池)」
昔、坂上田村麻呂が岩殿山に住む悪竜を退治し、首を埋めた所にこの弁天池ができたと言われ、 カエルが住みつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられているとのことであるが、池にはやたらと大きな「おたまじゃくし」 が居たが、カエルにまで成長しないのだろうか?(苦笑)

基氏館全景
弁天池脇から撮ったものである。中央に、館西側の土塁が見え、その向こう側が館跡である。尚、車は。写真の道の手前左側に空地があるので、 そこに停めるとよい。

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント