中条氏館跡の熊谷厄除大師常光院の門前
藤原鎌足16代の子孫・常光が国司として下向し、中条氏を名乗り構えた館
所在地
埼玉県熊谷市上中条1160、常光院
常光院:電話048-522-4084
寺の東100mほどに広い駐車場有り
形状
館
現状・遺構等
現状:常光院ほか
遺構等:土塁、水堀、空堀、石碑、説明碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2009/08/28
歴史等
中条(ちゅうじょう)氏館は、藤原鎌足16代の子孫である武蔵判官藤原常光が、長承元年(1132)に国司として下向し、
土地の名をとり中条(ちゅうじょう)氏と名乗り、館を構えたのが始まりという。
常光の孫・中条家長は文武両道に秀でた人物であった。
家長は、元暦元年(1184)の一の谷の合戦や文治5年(1189)の奥州藤原氏征伐などに参陣している。そして嘉禄元年(1225)
鎌倉の評定衆に任命され、貞永元年(1232)には、我が国最初の法律・貞永式目の制定にも参画した。
中条氏館跡は、1万8千坪ほどの長方形で、現在は三分の一が常光院の境内となっている。常光院は、建久3年(1192)
家長が祖父常光のための館の一部を寺にしたものと云われ、土塁や堀に鎌倉時代の居館の姿を見ることができる
(昭和26年3月に埼玉県指定史跡となる)。
『「現地説明板・碑」、「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)」より』
現況・登城記・感想等
中条(ちゅうじょう)氏館跡である常光院は、熊谷厄除大師として有名なようで、町のあちこちに案内板が見られ、
また館跡の土塁上にも大きな看板が建てられている。
寺の南(正面)側には小川を利用した水堀が残り、水堀の寺内側には土塁が残っている。門前には、背の高い石碑や説明板等々がたっている。
寺の南西部は雑木林になっており、その中に空堀が良好に残り、往時を偲ばせる。
(2009/08/28訪れて)
ギャラリー
常光院の門前
中条氏館跡である常光院の門前には、背の高い城址碑(右)、説明碑(左)、標柱(説明碑の右)、説明板
(説明碑の裏にある)がたっている。説明碑と説明板には、中条氏と寺の歴史等が書かれている。標柱には「史跡中条氏館跡」と
「史跡天野氏の墓」とあり、それぞれの簡単な説明が書かれている。
水堀
寺の正面(南側)には、小川を利用した水堀と土塁が残り、土塁上には土塀が築かれている。また、
「熊谷市常光院ふるさとの森」の説明板と「熊谷厄除大師・常光院」のでっかい看板が建てられている。
空堀①
寺の南西部は雑木林(森)になっており、その最西部には空堀が良好に残っている。
空堀②
堀は、かなり埋まっており、深さは1m強ほどであるが、上部幅は4mほどある。