五井陣屋があったという五井駅
徳川吉宗の家臣有馬氏倫の末裔が伊勢より移して建てた陣屋
所在地
千葉県市原市五井中央西二丁目1-11(JR五井駅)、五井中央東一丁目1-2(小湊鉄道五井駅)
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 五井駅(JR、小湊鉄道)
【遺構等】 全くなし
満足度
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訪城日
2011/09/22
歴史等
紀伊和歌山藩主であった徳川吉宗に仕えていた有馬氏倫(うじのり)は、享保元年(1716)吉宗が8代将軍に就任すると、幕臣(側御用取次)となり、伊勢国三重郡に1300石を知行した。
翌2年(1717)、下野国芳賀郡で1000石加増し、さらに同11年(1726)伊勢国三重・河曲・多気及び下野国河内、上総国市原の5郡で7700石加増されて1万石の大名となり、知行地の伊勢国河曲郡(現鈴鹿市)西条(にしじょう)村の名称を以て西条藩と称し、陣屋を構えた。
氏倫から数えて5代目の氏恕(うじよし)の時の天明元年(1782)に陣屋を上総国市原郡五井に移し五井藩が立藩した。
天保13年(1842)氏郁(うじよし)の時、下野国吹上に転封となり、五井藩は廃藩となった。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)他参照』
現況・登城記・感想等
五井陣屋は、「五井駅」辺りにあったという。
鶴舞CCでゴルフをやることになって、プレー後に一杯やるというので電車で行くことになり、五井駅で降りたが、勿論、遺構は全く何も残っていなかった(笑)。
五井も、今では都内の通勤圏となり、今日も駅は多くの乗降客が行き交っていたが、陣屋跡だなんて知ってる人は1割、いや1%もいないだろうなあ(笑)。
(2011/09/22訪れて)