入ってすぐ左手に見える郭西の空堀
歴史不明、在地領主吉岡氏一族の館?
所在地
千葉県四街道市吉岡867
【行き方】
福星寺館の西約300m。
国道51号線(佐倉街道)の吉岡十字路を南東へ400~500m進み、墓地の脇の道を入って行く。駐車場はないので、
福星寺前の空地に停めて歩くのをお薦めする。
形状
平城(館)
現状・遺構等
現状:雑木林(大半が竹薮)
遺構等:曲輪、土塁、虎口、空堀
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2009/10/24
歴史等
中山城の歴史は、他の吉岡地区にある福星寺館・木出城などと同様、分かっていないという。
恐らく、福星寺館や木出城と共に、
16世紀代に原氏の権力体系に取り込まれたであろう在地領主吉岡氏一族が築いたものであろう。
現況・登城記・感想等
中山城跡は、福星寺館跡のすぐ西側300mほどの所にある。
また、ここから南600~700mほどの所には木出城があり、この吉岡地区はまさに城址密集地である。
城跡は雑木林になり、城跡の土地について地権者と行政との間でこじれているようで、その雑木林の道端に「悪行ざんまい」だとか、
「浮世の鬼よ」、「積年の恨み」等々と書かれた面妖な看板が立っていて、気味悪いというか、複雑な気分になってしまう。
それでも構わず、雑木林の中へ入って行くと、城跡は何とも荒れ果てた雑木林(多くは竹薮)となり、
何処をどうやって入って行けばよいのか困るほどだが、林立する竹の隙間から、曲輪の周りを取り囲む結構高い土塁が見える。
土塁は、高い部分で3m近くあるだろう。また、土塁の外側には空堀も残っている。
多少なりとも整備されたら、それなりに見応え充分な城址になるのだろうが、恨み辛み一杯なようで、暫くはちょっと無理だろうネ!?勿論、
説明板も・・・。
(2009/10/24登城して)
ギャラリー
中山城址へ
国道51号線(佐倉街道)の吉岡十字路を南東へ400~500m進むと、左手に墓地がある。
城址へはその脇の道を入って行く。
垣根の内側に空堀が
墓地の脇の道を入って行くと、すぐに右側垣根の内側に空堀が見える。この辺り、すでに城域だったのだろう。
登城口
さらに少し進むと右手に登城口(写真やや右)?がある。雑木林の中(写真左)に看板が見える。
面妖な看板
㊧城址入口左にある看板には「悪行ざんまい」だの「浮世の鬼よ」だのと面妖な言葉が・・・。㊨また、
その40mほど先には、「土地泥棒」などと書かれた看板も。写真右奥の発泡スチロールの箱には、「積年の恨み」とも書かれていた。
城跡の土地問題のもつれだろうが、何とも気味悪い(汗)。
左手に空堀が
2段上の登城口から入っていくと、すぐ左手に良好に残る空堀が見える。
右手にも空堀が
さらに入って行くと、右手垣根の外側にも空堀が確認される。
虎口
そして虎口へと出るが、その向こうには強烈な竹薮が見える。虎口両側の土塁は高さ3m近くありそうだ。
西側の土塁
この土塁は、上写真左側の土塁であるが、かなりしっかりと残ってはいるが、
竹があまりにも密集して生えているので、奥の方は見え辛い。
南側の土塁①
この土塁は、2段上の右側土塁であるが、この土塁もなかなか良好に残っている。
南側土塁②
東側の土塁①
郭内は、兎に角藪がすごくて、何処をどうやって入って行けばよいのか分からないほどであるが、
何とか掻き分けて入って行くと、正面に土塁が見えてくる。この土塁は郭東側にあたる。
東側の土塁②
東側の土塁を北側から撮ったもの。この土塁も高さ3m近くあるだろう。
東側の空堀①
東側土塁の外側の空堀は、かなり埋まってはいるが結構良好に残っている。
東側の空堀②
郭北側
北側は個人の宅地らしく、土塁も空堀も取り壊され、一部は畑になっている。