信濃 飯田城(飯田市)

桜丸御門(通称赤門)

信長・秀吉・家康が重視した伊那の中心地

別名

三本杉長姫城、六本杉長姫城

所在地

長野県飯田市追手町

形状

平山城

現状・遺構等

現状:市立美術博物館、長姫神社ほか
遺構等:曲輪、移築櫓門、現存門、石垣、堀、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

1987/04/05

歴史等

飯田城は、建保年間(13世紀前半)にこの地の地頭に任じられた坂西長由によって築かれた云われる。戦国時代には、天文23年 (1554)に武田信玄の伊奈侵攻時に落城し、武田氏の城番が入る。永禄5年(1562)に伊那郡代となった秋山信友が、 堅固な城へと改修する。
天正10年(1582)武田氏滅亡後、織田方の毛利秀頼が入城。その後、徳川領になると菅沼定利を郡代として入れた。天正18年(1590) 、毛利秀頼が再封、没後、京極高知が入り、近世城郭へと改修する。
関ヶ原の戦後、小笠原秀政・脇坂安元・安政と続き、脇坂氏が播磨龍野へ移封されると、 寛文12年(1672)堀親昌が下野烏山より入封し、堀氏が代々この地を領し明治を迎えた。
『日本城郭辞典(新人物往来社刊)参照』

現況・登城記・感想等

1987年4月5日に行ったが、今から思えば、当時はあまり城に興味があったわけでもなく、「桜丸御門(通称赤門)」 だけ見て終わってしまっている。現存門が他にもあるようなので、いつかまた訪城しなおしたい。
(1987/04/05登城して)

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