信濃 上田藩主居館(上田市)

表門(現上田高校正門)

関ヶ原合戦後、上田城を取り壊されたため真田信之が構えた居館

別名

御屋形

所在地

長野県上田市大手1丁目4番33号、上田高校

形状

現状・遺構等

現状:県立上田高校
遺構等:表門、土塀、石垣、水堀、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

1996/05/02
2004/05/01
2006/04/15

歴史等

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦のあと、真田昌辛の築いた上田城は取り壊されたため、 跡を継いだ真田信之はここに居館を構えた。
その後、上田藩主は仙石氏、松平氏とかわり、上田城も復興されたが、 藩主邸はそのままで移転せず明治維新にまで至っている。

現況・登城記・感想等

上田藩主居館は、今は上田高校の敷地となり寛政2年(1790)に再建された表門が高校の正門として残っている。
また、水堀・土塁・土塀が往時の面影を残している。土塀は江戸末期のものであるが、水堀(道路拡張のため狭められている) と土塁は真田氏時代のものだそうだ。
城主の御殿は一般には城の本丸に設けられているが、 三の丸とはいえ城の中心部からはだいぶ離れたこの地に置かれているのが特殊な歴史的事情を物語っていて面白い?
上田高校出身の友人が二人ほどいるが、こんな雰囲気のある学校へ通っていたなんて羨ましい!

ギャラリー

表門(現上田高校正門)
藩主が松平忠済(ただまさ)時代の寛政2年(1790)に、 その前年焼失した居館とともに再建された薬医門である。

水堀・土塁・土塀と表門
土塀は江戸末期のものであるが、堀と土塀は真田氏時代のものである。但し、土塀の下部と堀の周囲の石積みは、 崩落防止のために最近施工されたもので、堀幅も道路拡張により狭められている。

水堀と土塁

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