越中 白鳥城(富山市)

秀吉が富山城の佐々成政を攻めた時に陣した城

所在地

富山県富山市呉羽町

形状

山城(標高145.3m)

現状・遺構

現状:公園、山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、空堀、井戸、石碑、説明板

満足度(10点満点)

5点

訪城日

2007/06/08

歴史等

呉羽丘陵の最高峰にあり、眼下に富山平野を一望できる。寿永2年(1183) に源義仲の武将今井四郎兼平が陣を張ったとするのが最初の記録である。
その後数々の古文献にこの城のことが見えるが、豊臣秀吉の陣が富山城の佐々成政を攻めたときに陣を構えたことがよく知られている。
現在、秀吉本営の白鳥城の遺構はほとんど失われたが、昭和56年からの発掘調査によれば、本丸は空堀で囲まれ、 周囲からはいくつかの土塁跡や敷石跡が発見されている。出土の遺物には、土師質土器の越前焼スリバチ、中国製の染め付け碗などがある。 分析の結果、16世紀後半のもので、秀吉の時代と一致し、その多くが富山県外のものとされ、 主として東海から移動してきた兵が携えてきたと考えられる。秀吉軍と佐々成政の伝承が富山に根強く語り継がれているのも、 それだけ印象に残る出来事が多々あったからであろう。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

白鳥城の在る呉羽山というと、以前から「呉羽山を境にして、東西で風土や気質等々が全く変わる」と聞いているが、 そのことが不思議なくらい、その山容は山というよりも丘と言った方が相応しいような穏やかな感じがする山である。
そんな山に、「秀吉が陣城を築いて佐々成政を攻撃したんだ」などと、戦国期に想いを巡らしながらの登城である。
白鳥城址へは、城山公園の駐車場奥に城址碑があり、その右脇が登城口である。そこからはよく整備された遊歩道になっており、 散歩をしている人に結構出会った。白鳥城址は、公園として市民のいい散策路といった感じである。
尤も、城址としても、遊歩道が東の出丸~三の丸~二の丸~本丸へ通じており、さらに、本丸~西一の丸~西二の丸~西出丸へと続き、 その間に堀切や土塁や井戸などの遺構が各所で確認できる。また、本丸下にも曲輪跡(本丸下郭)等も残る。
遺構そのものには、それほどの感激はしなかったが、この城が越中(富山)の歴史の分岐点になったんだと考えると、 富山県人でもない私ではあるが、感慨深いものがある。
(2007/06/08登城して)

ギャラリー

登城口(白鳥城址へは、城山公園の駐車場奥に城址碑があり、 その右脇が登城口である)
 

㊧東出丸と、㊨東出丸からの眺望
登城口から少し登ると、すぐに東出丸に出る。眺望はなかなかのものであるが、あいにくの曇り空。
 

㊧二の丸手前の空堀、㊨二の丸
 

㊧二の丸から本丸への道(階段最下段両側は空堀、 左手前標柱奥が井戸跡
㊨二の丸(本丸手前)に残る井戸
 

本丸空堀(本丸の周りは、空堀がめぐっていたようである。 この空堀ははっきりと確認できる。)
 

本丸
本丸には一段高い櫓台のような部分があったが、説明がなく分からない。本丸と東出丸からの眺望は良い。
 

本丸下郭(㊧は本丸から見下ろしたもの)
 

西一の丸(㊧は本丸から見下ろしたもの)
 

㊧西二の丸、㊨西出丸
 

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