枡形虎口前に立つ石碑
徳川家康の武勇談「一宮の後詰め」の砦
別名
一宮城
所在地
愛知県豊川市一宮字宮前、砥鹿神社から南西約150mの竹林
【行き方】
東名高速「豊川インター」から国道151号を北上し「砥鹿神社信号」を右折し、200mほど進むと左手に砥鹿神社があり、
右手に神社の駐車場がある。この神社駐車場から南西へ150m程行った左手に石碑と説明板があり、ここが城跡。
形状
平山城(崖城)
現状・遺構等
現状:竹薮
遺構等:曲輪、土塁、空堀、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2010/02/11
歴史等
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いが終わった後、松平氏(松平元康、後の徳川家康)と今川氏(今川氏真)の間で、
三河の地をめぐって攻防が激しくなった。
永禄7年(1562)、氏真は牛久保城に着陣して、元康(家康)の家臣本多百助信俊等が守る一宮砦を大軍で包囲した。
元康(家康)は、10分の1の小勢でその攻囲を突破して砦に入り、翌朝には岡崎に帰還したという(三河風土記)。この間、
氏真は終始兵を動かさず、傍観していたと伝えられる。
これが、後世まで家康の武勇談の一つとして「一宮の後詰め」と称されたものである。
『「現地説明板」、「日本城郭大系9」より』
現況・登城記・感想等
一宮砦は、往古は砦の南東側に豊川が流れていた河岸段丘砦で、今も砦跡の南東部は急崖になり、その下には小川が流れている。
往時は複数の曲輪を配していたようだが、今は主郭部とそれを囲む土塁の一部や主郭の南北両側の空堀跡だけが雑木林や竹薮の中に残されている。
また、石碑と説明板が設置されている脇が城跡への入口で、内枡形の虎口土塁が残っている。
(2010/02/11登城して)
ギャラリー
内枡形虎口土塁
内枡形の遺構は、愛知県内では数少ないそうだ。約4m四方の小さい枡形で、
長い歳月を経て土塁も低くなっているが、ほぼ完全に近い状態で残っており、この砦の遺構の最大の特徴といえる。
主郭南側の空堀
主郭の南北両側は空堀で断ち切られている。この南側の空堀は、上部幅約4m、深さは主郭(左側)
上から約3mほどと小規模ではあるが、良好な状態で残っている。
主郭北側の空堀
主郭の北側は、深い谷が段丘の下まで落ちていっているが、空堀跡であろう。主郭(左)側は、
かなり削られているようであるが、堀の幅は7mほどある。
主郭南東側は急崖(砦内から)
主郭南東側には低い土塁があり、その外側は急崖になっている。
下を流れる小川との比高差は10m弱といったところだろうか。また、この土塁、あまりにも低いので、竹薮整備のためのものかも?
主郭南東部面(砦の下から)