塞之神城主郭に立つ標柱と説明板、主郭周囲には土塁が
武田氏との和睦で奥平氏が築いた砦城or三河三代長者米福長者の城館?
別名
本城山砦、砦城、塞ノ神城
所在地
愛知県新城市作手清岳字本城
【アクセス】
国道301号「つくで手作り村」から1.8km程北上した「作手総合支所東(旧作手村役場東)信号」を左折し、300m程進んで左折する
(道路に案内あり)。途中、未舗装となるが、600m程行くと左手に水道施設のようなものとその前に歴史の小径の案内がある
(この道路を更に登り、突き当たった所が文殊山城の駐車場となる)。車はこの付近に停め、
徒歩用の文珠山城への案内方向へ少し登ると左手が塞ノ神城の案内があるので、ここを左手へ行く。尾根伝いに10分も歩けば城跡に辿り着く。
しかし、文殊山城の駐車場に車を置いて、文殊山城とセットで登城することをお薦めします。それほど時間は変わりません。
文殊山城からは14~15分。
形状
山城(標高628m、比高120m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:土塁、曲輪、空堀(堀切・竪堀)、虎口、土橋、井戸、標柱、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2010/11/28
歴史等
塞之神城は、来歴の不明な城の一つである。
伝説も含め、古くは元亀年間(1570~73)、武田氏によって、奥平氏との和睦の際、合議により文殊山城と共に築かれたとも言われ、
また、奥平氏が作手に来住する以前の米福長者(三河三大長者の一人で作手に在住)時代に存在したとの推定もされている。
いずれにせよ2時期にわたる構築が指摘されており、主郭とその東と南の虎口の部分、
二の曲輪と堀切を含むその付属部分と普請の程度に明らかな差異が見られる。
『現地(主郭)説明板より』
現況・登城記・感想等
文殊山城から歩くと、14~15分ほどで塞之神城の主郭に着く。
主郭まで来る途中に、堀切が2本あるが、いずれも明瞭に分かる割り合い大規模なものである。
主郭は、楕円形に近い不整形で、東側の一部を除き、周囲を約2mの土塁がめぐっている。
虎口は、南と東側の2箇所にあり、南虎口は文殊山城方面へ、
東側口は古宮城方面へ至る道となる。
このことからも、古宮城の詰の城であった可能性は大きいと思われる。
一つ大失敗! 塞之神城の最大の見どころに、Ⅳ郭南側斜面の大規模な竪堀があることに帰ってきてから気がついたが遅かりし(泣)。
(2010/11/28登城して)
ギャラリー
塞之神城縄張略図
ⅠからⅤの曲輪名は「愛知の山城ベスト50を歩く・中井均著(サンライズ出版刊)」参照。
堀切
文殊山城から歩くこと10分ほどで正面に土塁が見えてくる。
その手前に堀切が切られ、城域に入ったのが分かる。
堀切を底から撮影
この堀切は結構大規模で見応えがある。
Ⅴ郭
堀切を渡り、土塁を越えるとⅤ郭へ出る。本丸の次に大きい郭で、堀切に面した部分だけ僅かに土塁がある。
内部は完全に平坦地となっている。
2つ目の堀切
さらに進むと、すぐに2つ目の堀切へ出る。この堀切は、上の堀切と較べると明瞭ではないが、
はっきりと断ち切られていたのは分かる。
Ⅳ郭
主郭南下の帯郭からⅣ郭を見たもので、主郭の切岸の結構急斜面の感じが分かると思う。
主郭南虎口
主郭南虎口へは、帯郭を通って入って行くようになっている。
主郭(南虎口から撮影)
主郭は、楕円形に近い不整形で、東側の一部を除き、周囲を約2mの土塁がめぐっている。
主郭東虎口
虎口は南側と東側にある。東側は斜面に階段状に郭があり、結構急斜面である。
ここを下っていくと古宮城に出る。
主郭(東虎口から撮影)
主郭の北側(写真右の方向)に瓦が散乱していたが、これは近時まで存在したお堂の名残りだそうだ。
折角新発見だと思ったのに(笑)。
主郭帯郭
主郭周囲の切岸はかなり急峻である。その下には北東部を除いて帯郭がめぐっている。