尾張 名塚砦(名古屋市西区)

名塚砦跡とされる白山神社

織田信長が弟信行に対抗して築き、林通勝・柴田勝家に勝利した砦

所在地

名古屋市西区名塚町4丁目
【アクセス】
地下鉄鶴舞線庄内通駅(庄内通駅前信号)から県道63号線を北へ約400m進み、庄内川橋手前の左手に見える森が白山神社で、砦跡である。

形状

平城(砦)

現状・遺構等

【現状】 白山神社
【遺構等】説明板

満足度

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訪城日

2011/04/20

歴史等

弘治2年(1556)、織田信長が末森城にいた弟信行に対抗するために築き、佐久間盛重に守らせた。
同年8月、信行の老臣で那古野城にいた林通勝と光春(通具)兄弟および柴田勝家らは、信長を打倒すべく清須へ進撃する途中、名塚砦を攻めた。しかし、城兵が善戦してこれを支え、急を聞いて駆け付けた信長は、稲生原において林・柴田の軍勢を破って勝利を得た。
織田一族の内紛を治めた信長は、以後尾張の支配権を確立していくこととなった。その後、砦はまもなく廃された。
『「現地説明板」、「日本城郭大系9」より』

現況・登城記・感想等

遺構は全く残っていないが、白山神社の境内前の鳥居脇に砦に関する説明板がある。
また、参道を200m程南へ歩いて行くと「惣兵衛川」という小川があり、この川の反対側に庚申塚がある。この辺りが稲生原古戦場跡のようだ。砦跡から、あまりにも近いのであっけにとられた?
柵で囲まれた中に、稲生合戦の説明板と戦死者の供養塔が立っている。
(2011/04/20訪れて)

ギャラリー

稲生原(いのうがはら)古戦場跡
織田家の家臣柴田勝家と林光春らは、信長の弟信行を擁立し、清須の兄信長を討とうとして、弘治2年(1556)8月24日、この地で戦いを挑んだが、信長方の勝利となった。ここにある庚申塚は、この合戦の死者を祀ったものといわれるが、本来は庚申信仰の名残である。(説明板より)
IMG_2496

稲生合戦戦没者供養塔
この供養塔は、正真正銘稲生合戦の戦死者の供養塔で、近年造立されたもののようだ。
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