浄願寺入口に建つ城址碑
徳川の祖、松平家三代・信光より分かれた長沢松平家・松平宗忠が築城
所在地
愛知県豊田市志賀町字城山(浄願寺)
形状
平山城
現状・遺構等
現状:浄願寺裏山(公園)
遺構等:本丸跡、二の丸跡、櫓台跡、腰曲輪、空堀
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/08/28
歴史等
古瀬間城は、高橋荘攻略の拠点として室町期の永正3年(1506)に徳川の祖となる松平家三代・信光より分かれた長沢松平家・松平宗忠が築城したと云われている。
織田、今川、武田方と対峙する真っ只中で野見町に所在する丸根城とともに松平一族の西方の重要な拠点と云える。
一説によれば、天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に伴い廃城になったと云われている。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
新城街道を見下ろす標高100mの丘の上に築かれ、城の規模は約3,600㎡で、頂上の本丸(40m×32m)・二の曲輪(陣地)と北・西・南面には腰曲輪が段差をつけながら巡っている。また、東北角には櫓台と思われる一角がある。
また、主郭と反対側の丘は、多くの歌碑が道の両側に並ぶ「こせま城址歌碑の里」となっており、なかなか風情がある。しかも宮中で一番の美しさを誇り、琴の名手と言われ、高倉天皇の寵愛を受けたといわれる小督局の墓所があるのには驚いた。本当にこんな所で最期を送ったのだろうか。
(2006/08/28登城して)
ギャラリー
古瀬間城縄張り図
浄願寺境内奥の登城道
松平宗忠の墓
手前が二の郭(陣地)、奥の階段の上が主郭
主郭(40m×32m) 梅林になっている
主郭に再建された見張り櫓
「主君家系譜」ならびに「宗忠公のお墨つき」等の古文書に基づき、豊田市が昭和57年3月に「見張櫓(木造銅板葺屋根2階建て)・四阿」を再建。
見張り櫓からの眺望
それほど高い山ではないが、眺望は非常に良い。
腰曲輪
北・西・南面には腰曲輪が段差をつけながら巡っている。 段下の腰曲輪の向こうに堀?
櫓台跡
「こせま城址歌碑の里」
小督局の墓所
宮中で一番の美しさを誇り、琴の名手と言われ、高倉天皇の寵愛を受けたといわれる小督局の墓所があるのには驚いた。本当にこんな所で最期を送ったのだろうか?