清水城本丸跡に建つ清水小学校と正門脇の石垣と石碑
稲葉一鉄が築き、後に秀吉の不審を被り隠居した城
読み方
きよみずじょう
所在地
岐阜県揖斐郡揖斐川町清水1527(清水小学校)
清水小学校:電話0585-22-1274
形状
平城
現状・遺構等
【現状】 清水小学校
【遺構等】 石垣、石碑、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2011/11/16
歴史等
延文元年(1356)、林通兼が清水山に城を築いた。
戦国時代には加納氏が居城したが、弘治3年(1557)、曽根城主稲葉一鉄(良通)に攻められ落城した。
一鉄は、山城を廃して麓に新城(平城)を築いた。その後、豊臣秀吉の不審を被り、清水城に隠居した。
一鉄の死後、庶子重通が城主となり清水城1万2千石を領した。重通の子通重は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では東軍に与し本領安堵されたが、同12年(1607)京都で狼藉事件を起こして改易となり、城も廃城となった。
その後、林丹羽守の代官所となり、一時復興したが、寛永の初め(1620~30年代)に廃城となった。
『「日本城郭大系9」、「現地説明板」より』
現況・登城記・感想等
清水城は、往時の面影はなく、現在は本丸部分が清水小学校の敷地となって、正門脇に石垣が残っているだけだ。
反対側には薄くなって分かり辛いが、縄張図付きの説明板もある。
縄張図と照らし合わせると、堀は埋められ、二の丸、三の丸、侍屋敷は、住宅地や田園になってしまっているようだ。
(2011/11/16訪れて)
ギャラリー
縄張略図(現地説明板より)
石垣と石碑
清水城は、本丸跡に小学校が建ち、他は宅地や田園となってしまい往時の面影はなく、この小学校正門脇の石垣が唯一の遺構のようだ。