織田河内守屋敷周囲の野古墳群
織田信長の弟有楽斉の子長孝が立藩して構えた屋敷
所在地
岐阜県揖斐郡大野町野
形状
館
現状・遺構等
【現状】 田園、野古墳群
【遺構等】 標柱
満足度
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訪城日
2011/11/17
歴史等
慶長5年(1600)に関ヶ原合戦が起こると、織田信長の弟織田長益(有楽斉)の子長孝は、父と共に東軍に属して戦功をたて、翌6年、美濃国大野郡野村において1万石を与えられて立藩した。
しかし、嫡子長則は寛永8年(1631)に没し、嗣子なく断絶となり、野村藩は2代で廃藩となった。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
織田河内守邸跡は、古墳がいたるところに残る「野古墳群」の一角にある居館である。
「織田河内守屋敷跡」の標柱があるらしいが、だだっ広い上に土塁のような古墳だらけの中を、車で散々走り廻ったが見つからなかった。フーッ!
(2011/11/17)