山肌を剥き出しにした帰雲山を仰ぎ見る
大地震による山津波で一瞬のうちに埋没してしまった幻の城
別名
返雲城
所在地
岐阜県大野郡白川村保木脇周辺
形状
山城
現状・遺構等
遺構はもちろん、場所も完全には特定は出来ていない。
石碑、説明板
満足度
?????
訪城日
2003/08/12
歴史等
帰雲城(かえりぐもじょう)は、寛正の初め(1460頃)に内ヶ島上野介為氏によって築城された。
天正13年(1585)、豊臣秀吉が飛騨へ派遣した金森長近軍は、三木自綱の本城・松倉城
(高山市)を落とし、飛騨を平定した。このとき、城主内ヶ島氏理は、秀吉の佐々成政征伐において、成政の援軍として越中へ出陣していたが、
ただちに飛騨へ戻り鍋山城(高山市)に駐屯する金森長近のもとへ赴き、帰順を願い出て許された。
三木氏はじめ飛騨の領主たちがすべて滅亡した中で、生き残る可能性があった飛騨土着の領主は、唯一、この内ヶ島氏理だけであった。
ところが、この内ヶ島氏も、許されて帰雲城に帰還したわずか3ケ月後の天正13年(1585)11月29日の夜中、東海・北陸・
近畿に及ぶ巨大地震で帰雲山が崩壊し、内ヶ島氏理主従1千余人と山頂の城・山麓の城下町は一瞬にして埋没してしまったと伝えられている。
『「現地説明板」、「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」参照』
現況・登城記・感想等
城跡としては何も残っていないが、帰雲山の山崩れの跡等々、想像力を掻き立ててくれ、崖崩れの跡のような山肌が見えた時、
不謹慎かもしれないが、何となく妙にわくわくとし、また嬉しくもなった。ロマンを感じさせてくれた。
帰雲城の滅亡について、真偽のほどはともかく、「内ヶ島氏は金山を所有していたことから、数百億の黄金が埋没しているのではないか」という、
黄金埋没伝説があるそうだが、この風景を見ていると、本当かもしれないと思ってしまう。
(2003/08/12訪れて)
ギャラリー
帰雲神社