城址山麓の普明寺の山門前に立つ城址標柱
葛山氏一門の御宿氏が居城
所在地
静岡県裾野市千福(普明寺の裏山)
形状
平山城(30m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:土塁、空堀、曲輪跡、標柱
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/05/28
歴史等
葛山氏の一門であるみ御宿(みしゅく)氏が居住した地と伝えられる。
大森氏・葛山氏は同族であり、葛山氏より御宿氏・宮原氏・上田氏の各氏が分派し、在名をとって苗字とした。
城史については不明だが、御宿勘兵衛正倫が居住したと伝えられている。御宿氏が退去した後に、
後北条氏がこの地一帯を支配した時期に大改築したと考えられる。
山麓にある普明寺の位置は、もとは城番の居館があったあたりと考えられ、南北80m、東西90mの規模である。
『静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)より』
現況・登城記・感想等
今回の登城ほど、「やはり、山城は夏は避けた方が良い」と思ったことはない。おまけに、前日からの雨である。
千福城跡は普明寺の裏山であるが、全く整備はされておらず、案内板も全くなく、
雑草が茫々に生い茂っており登城道もよく分からない状況であった。曲輪跡らしき所は、
テラス状に何段にもなっており分かるがあまりにも草茫々で、一部、梅林や畑に利用されている曲輪跡以外は入っていく勇気はなかった。
それでも、曲輪跡が畑になっている最上部あたりまでは、何度も間違えながらも何とか登って行ったが、
そこから山頂の本丸までの道は全く分からず、雑草が伸び放題の上、木が一杯倒れている山の斜面を強引に登った。登りきった山頂(本丸跡?)
にも案内板などは何もなかった。また、空堀らしきものも何ヶ所かあったが、草茫々でそれも非常に分かりにくかった。
戻ってみたら、シャツもズボンもびしょびしょで、靴の中にまで水が入って最悪。
(2006/05/28登城して)
ギャラリー
千福城遠景
看板に武田信玄にゆかりがあると書かれている普明寺の裏山が千福城址である。尤も、
どうゆかりがあるかは説明もないが・・・。
最初に出会った曲輪跡
一番広い曲輪跡
この曲輪が一番広いようであり、奥には結構高い土塁らしきものが見えるが、
あまりの草茫々で入って行く勇気はなかった。これを本丸(主郭)とする説もあるらしい。
梅林に利用している曲輪跡
登って行くと、曲輪跡が平なのを利用して畑や梅林になっている。
梅林傍からの眺望
右側の東名高速道路が城址の北西部分を削ってしまっている。
畑に利用されている曲輪跡と土塁
ここから奥は本丸?(山頂部)への道が全く分からず、土塁奥左にある堀切の右横から強引に登った。
本丸北側の堀切
草茫々でわかりにくいが、この空堀は分かり易い方である。
本丸跡?
平らな山頂部。奥に一段低い曲輪がある。
本丸下の曲輪跡
虎口
登ってきた側と反対側には、非常に分かり易い虎口跡が残っていた。
㊧曲輪(奥)と空堀(手前)虎口上から撮影、
㊨空堀(左写真の手前の空堀)
普明寺とは山の反対側になる。ここからは登り道は全くないようであった。