本郭北側の土塁、土塁奥が御所丸跡
井伊氏の祖・井伊共保の築城か?
所在地
静岡県浜松市引佐町井伊谷
形状
平山城
現状・遺構等
現状:城山公園
遺構等:曲輪、土塁、虎口、標柱、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2005/09/03
歴史等
井伊城はこの城山の南麗にあり、本丸、二の丸、三の丸に分かれ井伊家の居城であった。ここは平時の居館で、東方3kmの三岳城が本城
(詰の城)であったと思われる。
遠江国司共資の子共保は、地蔵寺(今の龍潭寺)の井戸のほとりで拾われたが、長じて国司となり、井伊氏を称して、その祖となったといわれる。
井伊氏は次第に北遠西部地域に勢力を伸ばしていき、南北朝期の延元元年(1337)には道政・
高顕父子が後醍醐天皇の第八子宗良親王をこの井伊谷に迎えて、遠州南党の領袖として活躍し、足利勢を大いに悩ました。宗良親王は、元中2年
(1385)8月10日この地で没するまで約50年、京都と鎌倉の中間であるこの井伊城を本拠として、駿河、甲斐、信濃、越中、越後、
上野の国々を転戦した。
井伊氏は、室町中期以降は今川氏に属していたが、数代にわたって非命に斃れるなどした。幼少の直政は三河国鳳来寺に身を隠していた。
そこを徳川家康に助けられて成長し、後に徳川四天王の一人となり、彦根城主井伊家の祖となった。
『「静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)」、「現地説明板」参照』
感想等
引佐町役場の裏山に城山公園として整備されており、頂上が40m四方程度の単郭平場になって、井伊谷城の説明板があり、
北側に土塁が残っている。
その後ろ(東側)の一段高い所が御所丸跡で標柱が立っている。
頂上からは、展望がよく遠くまで見渡せる。
三岳城も寄りたかったが、会社の友人(K米さん)に無理やり付き合ってもらっていること・強烈な暑さ・当日の体力・時間・
他の用事のことがあり諦めた。
また、近くにある井伊谷宮の近くの田圃の中に「井伊家の祖・井伊共保出生の井」と云われる井戸があった。
(2005/09/03訪城して)
ギャラリー
頂上の本郭への虎口
井伊家の祖・井伊共保の出生の井