遠江 鳥羽山城(浜松市天竜区)

本丸南虎口

徳川家康が武田軍の二俣城攻略のために本陣を敷いた城

所在地

静岡県浜松市天竜区二俣町

形状

平山城(標高:108m)

現状・遺構等

現状:城址公園(山林)
遺構等:城門礎石、土塁、空堀、曲輪、石塁、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2005/04/23

歴史等

天正3年(1575)徳川家康が武田軍が守る二俣城を攻略するとき、鳥羽山に本陣を敷き天竜川の和田島、 二俣川の向こう毘沙門堂に砦を置いて二俣城を包囲したことは世に知られている。
主郭の四囲山腹、山麓には各種の遺構がある。土塁、石垣、門、井戸、建築跡、庭方のほか昭和50年の発掘調査により、侍屋敷、 家老屋敷などが発見されている。戦国時代の城館で庭園や泉水を伴うものは全国でも希で、 特に家老屋敷や蔵屋敷に依存する岸壁利用の拓山水の鳥羽山城庭園は文化史上貴重な遺跡である。
『以上現地案内板より』

徳川氏に渡ったあとも、この鳥羽山城は二俣城の出丸として利用され、 二俣城主大久保忠世により整備、 拡張,されるが、大久保忠世が関東に移封された天正18年(1590)鳥羽山城は廃城になった。

現況・登城記・感想等

浜松に住んでいた頃に、二俣城は何度か訪城したが、 鳥羽山城の存在をあまり意識せず登城することがなかった。 152号線で二俣へ向かって行き、 天竜川に架かる橋を二俣へ渡る手前から正面に鳥羽山城址は見える。車でかなり上まで登れる。そこから少し歩いて登ると、本丸への虎口へ出る。
本丸は約100m平方のほぼ四角形で、周囲を土塁が囲んでいる。奥の方へ歩き土塁の上をぐるっと回り、 下へ降りると帯曲輪になっていて石垣もよく残っている。眼下には天竜川や対岸の山並みがよく見え、眺望が素晴らしい。ただ、 以前からいろんな小説や資料、或いはここや二俣城址の案内板にも二俣城とは二俣川を挟んでいるとなっているが、その二俣川が分からない。
以前から、何十回と通った道であり、見逃す訳がない。多分、川筋が変わったのであろうと自分で自分を納得させた。 鳥羽山城址と二俣城址を分割してしまっている現152号線の辺りを旧二俣川が流れていたのだろう。
(2005/04/23に登城して)

ギャラリー

鳥羽山城址遠景(天竜川を挟んで)

本丸跡

本丸と二の丸との間の虎口?(埋門?)

本丸の石垣

本丸からの景色(天竜川の向こうは「熊」方面)
熊とは云っても、動物ではなく町?村?の名前である。

本丸下の石垣

本丸下の帯曲輪のような場所にこんな石が?庭園遺構?

笹曲輪からの景色(天竜川が眼下に)

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント