伊勢 楠城(四日市市)

城跡に植えられた楠の木

伊勢国司北畠氏の臣諏訪氏、楠氏の居城

別名

楠山城

所在地

三重県四日市市楠町本郷
【アクセス】
四日市市楠歴史民俗資料館の南西約200m。
国道23号「貝塚町北信号」を東へ入り、「本郷橋」で鈴鹿川を渡ると正面に「サークルK」があるが、この「サークルK」 手前を斜め右手の道へ入り、100mほどの路地を右折する。そこから400m程南下すると右(西) の方150~200mに大きな楠が聳えている。そこに説明板と石碑が立っている。
四日市市楠歴史民俗資料館:四日市市本郷1068番地、電話059-398-3636       

形状

平城

現状・遺構等

現状:田園
遺構等:石碑、説明板

満足度

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訪城日

2010/11/29

歴史等

楠城は、もと楠山城と称し、正平24年(1369)に伊勢国司北畠顕泰の命で、諏訪十郎正信(貞信)が築き居城した。
正信は信濃国諏訪の住人で、伊勢国司北畠氏に仕え、南朝方についたと伝えられる。
2代目貞益は北畠顕泰から中島4郷を賜り中島氏を称したが、3代目貞則は、兄貞益と共に、応永6年(1399) に伊勢国司北畠満雅の命に背き京に留まったので、楠平尾の楠木兵衛助正顕(楠木正成三子の嫡男と伝えられる)が楠城代官として任じられた。
楠氏5代目の正具の時の永禄10年(1567)、織田信長の命を受けた滝川一益の北伊勢侵攻が始まり、北伊勢の諸城が織田勢に降りたが、 正具は治田城(いなべ市北勢町)に籠もり、降らなかったが、その後、大坂石山合戦で戦死したという。
6代目には、織田信長の命により楠家の親戚の村田正盛が城主となり、北畠(織田)信雄に属したが、天正12年(1584) 美濃加賀井城で羽柴秀吉軍に討たれ楠氏は滅んだ。
『「日本城郭大系10」、「現地説明板」より』

現況・登城記・感想等

楠城跡は、いまでは田園地帯となり面影もない。
明治40年に植えられたという大きな楠の木が聳え、石碑と説明板があるだけだ。
(2010/11/29訪れて)

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