願証寺(がんしょうじ)
織田信長に反抗して兵をあげた一向宗の拠点
所在地
三重県桑名市長島町又木(願証寺)
願証寺:桑名市長島町叉木、電話0594-42-1309
形状
城郭寺院
現状・遺構等
現状:水没(長良川の底)
遺構等:一向一揆の碑
満足度
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訪城日
2008/05/05
歴史等
天文年間(1532~55)に蓮如の第12子・蓮淳が長島杉江に創建し、石山本願寺の一派として一向宗の拠点となった。
蓮淳の四世証意が、元亀元年(1570)長島城を奪い、
信長に反抗して兵をあげた。
城は水城で信長は容易に攻め落とせなかったたが、5世顕忍の時、信長勢の前後3回にわたる一向一揆鎮圧に屈した。
6世准恵は後に桑名鍋屋町に再興した。正徳年間(1711~16)、宗派を改め、寺を廃した。宝暦年間(1751~64)
本堂を一身田の専修寺に移した。
寺院ではあるが、一向宗門徒の一大拠点であっただけでなく、政治的にも軍事的にも北勢地方に大きな影響力を持っていた。
その規模などは不明であり、明治年間の木曽三川の改修により長良川に水没した。
『日本城郭大系10より』
現況・登城記・感想等
願証寺は、当時の場所から多少東南に移築されたものではあるが、周りは一面の水田になっており、
その非常に低い地形に往時の壮絶な戦いの想いを馳せるしかない。
尚、現願証寺に「一向一揆殉職の碑」が立っている。
(2008/05/05訪れて)
*願証寺は、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川に囲まれた長島にある。長島は伊勢・尾張・美濃が接している。私の通っていた高校にも、
長島から通っていた人が一人だけ居た。長島は三重県であるが、彼の言葉は尾張弁(名古屋弁)と伊勢弁が混じっていた。
美濃の言葉も混じっていたのかもしれない。まさに伊勢・尾張・美濃の境界にある地だと思ったものである。ちなみに、
揖斐川の南にある桑名の人は、完全な伊勢弁である。
ギャラリー
水田に囲まれた願証寺
願証寺は、当時の場所から多少東南に移築されたものではあるが、周りは一面の水田になっており、
その非常に低い地形に往時の壮絶な戦いの想いを馳せるしかない。
本堂と長島一向一揆殉教之碑