陣屋跡地が特定できず掲載した東阿倉川の実家の庭(汗)
和歌山藩徳川家臣加納氏が、吉宗が将軍になり知行を与えられ構えた陣屋
別名
八田陣屋
所在地
三重県四日市市東阿倉川
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 宅地
【遺構等】 なし
満足度
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歴史等
享保元年(1716)、和歌山藩主徳川氏に仕えていた加納久通は8代将軍になった吉宗に従って旗本に復し、御用人になり伊勢国三重郡内に1千石を与えられた。さらに翌年(1717)下総国相馬郡内に1千石、享保11年(1726)伊勢国三重・多気、上総国長柄3郡内で8千石を加増され、1万石を領有して、三重郡東阿倉川に陣屋を構えて東阿倉川藩(八田藩)を立藩した。
久儔の時の文化9年(1812)、上総国一宮に陣屋(一宮陣屋)を移し、東阿倉川藩は廃藩となった。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
子供の頃、父から「四日市市は天領だが、東阿倉川だけは千葉にあった加納藩の飛び地だった。」と聞いたことがある。
東阿倉川(現阿倉川町、万古町を含む)は僅か500m平方ほどしかないだろう。どうして、こんな狭い所だけ飛び地にしたのだろうと不思議に思ったものだ。
そして、今回、たまたま手にした「藩と城下町の事典」で、江戸時代には東阿倉川に陣屋があったことを知った。
東阿倉川は、私の子供の頃から住宅地(一部田園)になっており、それらしき所は残っていなかった。陣屋を千葉県に移したのは1812年ということだから、それほど遠い昔ではないし見つかるだろうということで、陣屋のあった場所を郷土史等で調べたが全く分からなかった(;>_<;)。
そこで、止むを得ずTOP写真には、実家の庭を載せた(失礼)。我が家は、江戸時代以前から、ここにあったようだから陣屋跡地でないことは明確だが・・・(苦笑)。