町屋川の北側から再開発で跡形もない城址を
美濃と近江へ通じる交通の要衝に築かれた城
別名
桑部北城・桑部南城
所在地
三重県桑名市桑部字城下
形状
平山城
現状・遺構等
現状:宅地開発中
遺構等:なし
満足度
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訪城日
2010/01/25
歴史等
桑部城(くわべじょう)のあった町屋川流域は、鈴鹿山脈の北峰藤原岳山麓を経て美濃へ通じ、
鈴鹿山脈の峠を越えて近江へ通じる街道筋にあたり、中世交通路の要衝の地であった。桑部城は、町屋川に北面した丘陵地の突端部、
標高50mの地に築かれた城である。
桑部城は、幅12mほどの空堀を隔てて、土塁に囲まれた2つの郭を中核として築かれ、この2つの郭を桑部北城・桑部南城と呼ばれる。
「三国地誌」に、毛利次郎左衛門の居城とあり、「勢陽五鈴遺響」に、織田信長に滅ぼされたと記されている。
また、「桑名領古城図考」や「桑名誌」には、南城を大儀須若狭守、北城を毛利次郎左衛門の城主としている。
織田信雄と羽柴秀吉が町屋川の矢田河原で対陣し、和睦した後、秀吉側の蜂須賀彦右衛門(小六・正勝のことか?)が居城したといわれる。
『日本城郭大系10より』
現況・登城記・感想等
記念の『登城1000城目』は、それなりに遺構がよく残る見応えの有る城跡をと思っていた。
実家の四日市に来ていたので、伊勢か尾張で良好に遺構が残っていそうな城をと思い、「日本城郭大系10」で物色したのが、この桑部城である。
桑名城へ登城したあと、桑部城を目指して、町屋川に架かる桑部橋を渡り城跡らしき場所を見ると、「な・な~んと山がない!そして、
そこにはブルドーザーやダンプカーが・・・。
しかし、その左の方(東)に山があったので、それかもと気を取り直して、
その山の登城口を捜して山麓をぐるっと廻り山の南側から細い路地を入ろうとしたが、どうやら途中で行き止まりのようだった。
近くを散歩していた年配の方に「桑部城址は、この山でいいんでしょうか?」と尋ねると、「桑部城址は、この山の向こう(西)にあったけど、
3年ほど前からの再開発で無くなり、何も無いよ。」とのことであった。
城址めぐりをしてから、このような会話はいつものことなので「ほとんど何もないとは思いますが、土塁とか空堀などがあるのでは?」
と尋ねると「以前はあったけど、再開発で、それらも全く無くなった。」との返事!?
やっぱり、ダンプやブルの場所が城跡なんだ!
このように『記念の1000城目』を達成したのだった。オシマイ!(泣or笑?)
(2010/01/25訪れて)