天春家に残る城址土塁
朝倉氏一族の居城? 赤堀氏一族の居城?
所在地
三重県四日市市中野町1117、行園寺の南西の天春家
行園寺:電話059-339-0075
形状
平城
現状・遺構等
現状:個人宅
遺構等:土塁、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2010/01/25
歴史等
日本城郭大系10によると「室町時代、朝倉備中守詮真が築城し、居城した。」とあるが、現地説明板には「田原藤太(藤原秀郷)
の後胤の赤堀藤太郎が中野家と称して、永禄年間(1558~70)に築城したとある。
場所的には、この辺りは朝倉氏の領地内と思われるがどうなんだろう?
永禄11年(1568)に織田信長により滅ぼされた。
『「現地説明板」、「日本城郭大系10」参照』
現況・登城記・感想等
説明板によると「江戸時代の大庄屋天春家はその城跡であると伝えられている」とあったが、今も立派な門構えの家が建っており、その奥
(南西)に高さ約2m、長さ約10mの土塁が残っている。
その天春家の南に櫓台のような土塁があり、その前に説明板が建てられている。土塁の上は天春家の墓所になっている。
(2010/01/25訪れて)
ギャラリー
城跡に建つ門構えも立派な天春家
説明板によると「江戸時代の大庄屋天春家はその城跡であると伝えられている」とあったが、
今も立派な門構えの家が建っている。
天春家の南に残る大土塁
この土塁は高さ3m近くあり、幅も広い。櫓が建っていたのであろうか?今は、天春家の墓所になっている。
土塁の前に地図付きの説明板が立っている。
天春家の西側の土塁
門のところから奥(西)を見ると、高さ約2m、長さ約10mほどの土塁が残っていた。尤も、長さは右(北)
の方が、塀や門に隠れているのでよく分からず、もっとあるかもしれないが・・・。