伊賀 柏野城(伊賀市、旧伊賀町)

主郭をめぐる土塁

天正の伊賀の乱で、郷士40余名が立て籠もり織田軍を迎え撃った城

別名

福島城

所在地

伊賀市(伊賀町)柏野字宮ノ前(転輪寺の北西の裏山)
【行き方】
柏野の集落に着くと要所要所に案内板があり、それに従って進めばすぐに発見できる。途中に転輪寺があり、そこに駐車させてもらった。

形状

平山城

現状・遺構等

現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、空堀、土橋、井戸、石碑、城址への案内板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2010/01/26

歴史等

柏野城は、福島宗雄の居城と云われている。
天正9年(1581)の織田信長による伊賀侵攻の時に、柘植の郷士40名余が柏野城に立て籠もり、滝川一益・丹羽長秀らの織田軍を迎え撃ったが、多勢に無勢、たちまちにして敗れたという。
『日本城郭大系10より』

現況・登城記・感想等

柏野城は、西から東に延びる丘陵の先端部に築かれた城で、西側の尾根を堀切で断ち切っている。
北側を除く主郭周囲には土塁がめぐり、西側の土塁は3~4mほどの高さがある。
北側と東側は切り立った崖になっており、東側には2段の曲輪が造られている。
南側に虎口が設けられているが、その下もちょっとした崖になっている。
また、北西部にも虎口があり、その外側下(西側の堀切と北側の空堀との境目)に珍しい三つ叉構造をした土橋を見付けた。
小ぶりな城址であるが、見どころは結構多い城址だが、同時に、この程度の城に立て籠もっても、とても織田の大軍は防ぎきれるものではないだろうとも。
(2010/01/26登城して)

ギャラリー

城址全景
町の要所要所にある案内板に従って進むと、ここへ出る。段の上に「柏野城址→」と書かれた案内板があるので、民家の脇を通って入城する。

虎口
案内板の脇を通って入って行くと、すぐ上に平虎口が見える。手前はちょっとした急傾斜だ。

主郭
虎口から入ると主郭である。主郭の広さは東西30m×南北25mほどで、北側を除く周囲を土塁がめぐっている。土塁の高さは1m前後であるが、西側の土塁(写真正面奥)だけは3~4mほどの高さがある。また、南西部土塁上(写真左奥)には城址碑(右写真)が立っている。

西側土塁

井戸跡
主郭跡で井戸跡らしきものを見付けた。尚、井戸跡らしきものは、主郭北西部下の堀底にもあった。

三つ又の土橋
主郭の北西部にも虎口があり、そこから降りて行くと珍しい三つ叉構造をした土橋を見付けた。この土橋は三つ叉となって、北西虎口と西側の尾根と北側に設けられた小さな曲輪(出丸?)へと通じている。現場で見るとよく分かるのだが、写真では非常に分かり辛いのが惜しい。三つ叉構造をした土橋を見たのは初めてだ。

主郭西側の堀切
この西側の尾根を断ち切る堀切は、なかなか見応えがあるが、この程度のものでは織田方の大軍を防ぐのには無理があっただろうな。

主郭北側の空堀
右側土塁上が主郭で、左側が小さな曲輪(出丸)である、土橋は先ほどの三つ又になった土橋の一部である。

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