山城 勝竜寺城(長岡京市)

水堀の外から城郭風の資料館と模擬城門を

細川藤孝が丹後に移るまで居城、ガラシャ夫人が忠興に輿入れした城

所在地

京都府長岡京市勝竜寺3

形状

平城

現状・遺構等

現状:勝竜寺城公園、市街地
遺構等:曲輪、土塁、石垣、堀、井戸、模擬櫓、模擬石垣、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

1995/11/12
2006/12/24

歴史等

暦応2年(1339)京をうかがう南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いた。西に西国街道、東に久我畷、 南に淀川の水運をうかがう要地であるため、その後も各勢力の争奪の舞台となる。
永禄11年(1568)、信長上洛の時、柴田勝家が攻略し、その後細川藤孝に与えられた。藤孝は二重の堀を持つ堅固な城に改修し、 丹後に移るまで居城した。
天正10年(1582)山崎の合戦に敗北した光秀は一旦この城に逃れるが、もち直す事は不可能であり本拠坂本城に向けて脱出した。 光秀脱出後、落城した。
その後、淀城の築城に石材が使用されるなどして荒廃する。 江戸期に入って、寛永10年(1633)永井直清が山城長岡藩に封ぜられ修築をおこなうが、慶安2年(1649) 摂津国高槻に転封されると同時に廃城となった。
『参考サイト:フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)』

現況・登城記・感想等

環濠集落・寺院・古墳が一体化した城である。この城は天正6年(1578)に光秀の娘・玉(のちの細川ガラシャ) が16歳で細川藤孝の長男忠興のもとに輿入れしたところとしても有名である。現在、一応、土塁と空堀等々が一部残ってはいるが、 当時とは全く違う、近代的なというか、妙な石垣に模擬城が建てられていて興ざめする。
(1995/11/12訪城して)

11年ぶりの登城である。今回は以前の同僚増っさんに付き合ってもらっての登城である。
今回は、資料館もゆっくり見て廻った。模擬門や資料館の建物があまりにもきれいで違和感はあるが、 発掘調査にそってかなり忠実に再現しているようである。北門のあたりが一番の見所であろうか。石垣も結構あったようである。
そうは云いながら、やはり城址というよりも、綺麗に整備されたいい公園といった感じである。しかし、 市街地のど真ん中によく残してくれていて有り難く思うべきであろう。
(2006/12/24登城して)

ギャラリー

細川藤孝時代の勝竜寺城の想像図

登城口(資料館と模擬城門)

本丸周囲をめぐる土塁と水堀、奥に模擬隅櫓
本丸の周囲には水を湛えた幅広い水堀が造られ、その内側に高く土を盛り上げた土塁がめぐっていた。 土塁は高さ4~5mで、堀は深さ約3m、幅15mを越え、土塁の裾には石垣が築かれていた。勿論、 現在見られるものは公園化するにあたって再現したものであろう。堀の幅はとても15mはなさそうだ。

本丸
本丸内はきれいに整備された庭園になっている。本丸の広さは、東西約105m、南北約70mである。 本丸内では、西半部で南北方向の堀や、石で蓋された溝などが、東半部では井戸2基や礎石建物3基が見つかった。堀は幅約4m、 深さ約2mであった。

本丸の井戸跡
本丸内からは4ヶ所で井戸が発掘された。その内、 この井戸も含め3ヶ所が細川藤孝による城の改修時のものであった。井戸は、直径0.9m、深さ2mで、底に太い木を井桁に組み、 その上に石を積み上げた立派なもので、発掘調査中にもこんこんと水が湧いていた。

北門跡
本丸の北西端では北の出入口が見つかった。城内に入るには、北の堀を渡って第一の門をくぐり、 突き当たって左に折れ第二の門をくぐらなければならなかったようである。

発掘調査中の北門(資料館写真より)
発掘調査では第二の門の礎石が見つかっている。礎石の大きさは80cm×50cm以上もあり、 相当立派な門であったことが窺える。この出入口を囲む土塁には高さ2m以上の石垣で覆われていた。この門から、 山崎合戦に敗れた明智光秀が逃げ出したと言われる。

沼田丸への通路
西辺土塁の中央部で、土塁の頂上にある平坦を深さ1.5m掘り窪め、土塁が南北に分断されていた。 斜面は階段状に掘られ、2ヶ所で段差が見つかり多量に石が埋まっていた。このことから、堀の斜面に石段をつくり、 土塁の頂上まで登り沼田丸へ渡ったものとみられる。また、土塁の南端(写真左奥)で、人頭大の大きな石や小石が見つかった。 これらは土塁上にあった隅櫓などの建物に使われたとみられる。

㊧沼田丸跡、㊨発掘中の沼田丸(資料館内写真より)
沼田丸は、細川藤孝の妻の旧姓から名付けられた。沼田丸は彼女に与えられた屋敷地であろうか。調査では、 今でもこんこんと水の湧き出る井戸や屋敷地の中を四角く区画した溝などが見つかっている。
 

沼田丸の井戸
井戸は、直径0.9m、深さ2mで、底に太い丸太を井桁に組み、その上に石を積み上げた立派なもので、 発掘調査中にもこんこんと水が湧いていた。

発掘調査にて出土した石垣に使われた石像等(資料館内展示)

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