大和 松山陣屋(宇陀市)

西口関門(黒門)

織田信雄が入封し宇陀松山城山麓に構えた陣屋

所在地

奈良県宇陀市大宇陀区春日

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:市街地
遺構等:西口関門(黒門)

満足度

★☆☆☆☆

訪城日

2008/02/04

歴史等

宇陀市大宇陀区には、戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏が古城山に秋山城を築き本拠地とし、 集落を形成していた。
天正13年(1585)に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名が交代で入城し、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後、 福島正則の弟福島孝治が城主となり、松山城と改名した。
元和元年(1615)、孝治の改易にともない松山城は破却され、 織田信長の次男信雄が宇陀を所領し、宇陀松山藩として藩政がはじまる。織田氏は、山麓に「御上屋敷」や「長山屋敷」を設けた。
元禄7年(1694)家臣団の内紛に端を発して4代目藩主信武が家臣2人を殺害のうえ自殺した為、翌8年(1695)領地を没収され、 藩主となっていた信休は減封の上、丹波柏原へ転封となり、 以後天領となった。
『「宇陀市教育委員会等によるパンフレット(道の駅宇陀路大宇陀にて入手)」、「西口関門説明板」他参照』

現況・登城記・感想等

陣屋跡はほとんど宅地化してしまっているが、黒門とも呼ばれる西口関門が残っており、この付近だけは多少雰囲気を醸し出しているかな・ ・・?
宇陀松山には古い町並みが残っているということで、散策したが、期待していたほどではなかった。
(2008/02/04訪れて)

ギャラリー

西口関門(通称黒門)
福島孝治が松山城を居城とした江戸時代初期に建築された。唯一の建造物遺構で、 壁以外は全て黒く塗られていることから黒門とも呼ばれている。この辺りだけは、陣屋の雰囲気が多少はあるかな・・・。

宇陀松山の町並み
宇陀松山には古い町並みが残っているということで散策したが、期待していたほどではなかった。

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