御根小屋跡(高梁高校)への石段
備中松山藩の平時の政庁
別名
御城、下屋敷、御殿
所在地
岡山県高梁市内山下
形状
館
現状・遺構等
現状:高梁高校(高梁市内山下38)他
遺構等:石垣、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/11/16
歴史等
御根小屋(おねごや)は備中松山藩の藩主の居館であり、藩の政務を行う役所である。当藩では城が標高430mにあるため、
平時の政庁として御城山
(松山城)の麓に造られたものである。
創建年は不明であるが、天正3年(1575)の兵乱で焼失した記録があることから、その歴史は、戦国時代まで遡ることができる。
現在の姿は、江戸時代小堀遠州が再建をはかり、天和3年(1683)、当時の藩主水谷(みずのや)勝宗により完成された。
小堀遠州の時代は下屋敷、水谷氏以来は御根小屋とよばれていた。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
登城前は、たかが小藩主の居館にすぎないと、たかをくくっていたが、どうしてどうして、その面積たるや本当に広く、
約3万4千㎡もあるとのことである。
また、今に残る石垣も随分立派なもので、往時は堀に見立てていたであろう小高下谷川(ここうげたにがわ)を渡り、
城域にはいるとかなり高い石垣が出迎えてくれる。そして、JR伯備線の線路の所から眺める、
高梁高校のグラウンド下に延々と延びる石垣は相当なものである。恐れ入りました!
優しい姿をした山々に囲まれた高梁市は、高梁川が流れる風情ある町である。
また、武家屋敷や往時の面影を偲ばせる頼久寺・薬師院・松連寺などの寺院が残り、観光客も多く訪れるが、
この御根小屋跡も見落とさないでもらいたい。
(2007/11/16訪れて)
ギャラリー
小高下谷川(ここうげたにがわ)
往時は堀に見立てていたであろう小高下谷川を渡る。
高石垣
小高下谷川を渡り、城域にはいるとかなり高い石垣が出迎えてくれる。
延々と続く石垣
高梁高校のグラウンド下(テニスコート上)に延々と延びた石垣は相当なものである。
JR伯備線の鉄道手前から見る御根小屋跡(現高梁高校)
【高梁市内散歩】
武家屋敷
武家屋敷の道が往時の面影を偲ばせてくれる。
頼久寺の庭園
写真奥の愛宕山を借景とした小堀遠州作の蓬莱式枯山水庭園
松連寺
武家諸法度で城の新築が禁止され、修理も難しい時代に松山城の砦として築かれたようである。
松連寺の反りのある見事な石垣
この反りのある高石垣は城以外の何物でもないと思う。写真奥の方に薬師院があり、
両寺が城域であったと思われる。
薬師院
渥美清主演の「男はつらいよ(第32作~口笛を吹く寅次郎~)のロケ地となった。
写真右側の方に松連寺がある。