二の丸から再現物見櫓(展望台)を
在地土豪・山田一族の居城、有馬氏の重臣として活躍
所在地
長崎県雲仙市吾妻町栗林名
形状
平山城(標高45m)
現状・遺構等
現状:山田城址公園
遺構等:再現物見櫓(展望台)、本丸、二の丸、出丸、空堀、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2003/12/19
歴史等
山田城は南北朝時代の応安5年(1372)に山田荘の総地頭であった豊後の田原氏能によって築城され、北朝方の拠点であった。
そのために九州探題今川了俊等がたびたび滞在したことがあった。戦国時代、在地土豪の山田一族の居城となった。山田氏は代々、
主家有馬氏の重臣として活躍したが、特に有馬晴信夫人が山田氏から出るなど信任が厚かった。
慶長19年(1614)有馬氏の転封に伴い、山田氏も主家とともに日向延岡に移ったために廃城となった。
本丸・二の丸・出丸・空堀などが残っている。
『吾妻町教育委員会』
現況・登城記・感想等
日野江城へ向かっていたら、たまたま案内板を見て立ち寄った。
きれいに整備された公園になっており、物見櫓風の展望台があり、有明海等が一望できる。 山頂部に本丸跡があり、二の丸・
出丸もよくわかるように残っている。
(2003/12/19登城して)
ギャラリー
本丸跡への虎口
山田城址公園絵図