都城市役所前の都城縣廰跡の石碑の横に立つ都城領主館跡の標柱
都城島津氏は一国一城令のため領主館を建て、薩摩藩内最大の私領として統治
所在地
都城市姫城町6-21(都城市役所前)
形状
館
現状・遺構
現状:都城市役所
遺構等:標柱
満足度
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訪城日
2006/07/29
歴史等
都城領主・北郷氏(寛文3年に島津姓に復姓)は元和元年(1615)の一国一城令により、都之城を廃し領主館をここに建てた。
都城は江戸時代も鹿児島藩の私領として都城島津家が治め、約4万石という藩内最大の私領として繁栄した。
明治4年(1871)7月の廃藩置県では、都城地域は鹿児島県の管轄下に入ったが、11月の改置府県の布告により、都城県が誕生し、
この領主館(現市役所)に県庁が置かれた。しかし、明治6年(1873)1月15日には旧日向国をもって宮崎県を設置する布告が出され、
僅か1年余りでその歴史を終えた。
現況・登城記・感想等
都城市役所前に、「都城縣廰跡」の立派な石碑の横に「都城領主館跡」と書かれた白い杭が立っている。「都城縣廰跡」 の石碑に比べあまりにも貧弱で寂しいかぎりである。(2006/07/29訪問して)