多くの熱帯樹が植えられた豊見城公園
三山時代に、後に南山王となる汪応祖が中山に対する第一線として築城
所在地
沖縄県豊見城市豊見城
形状
平山城
現状・遺構等
現状:豊見城公園
遺構等:郭、土塁、碑、説明板
満足度
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訪城日
2002/11/26
歴史等
豊見城の地名は、三山時代(13~15世紀)に後に南山王となる汪応祖が、漫湖を眺望する高台に城(グスク)を築き、それを
「とよみ城」と美称したことに由来する。"とよみ"とは、「鳴り響く」「名高い」などの意味があり、時代とともに「とよみぐすく」
「てぃみぐすく」「とみぐすく」と変遷したと思われる。
この時代の豊見城は南山王の配下で、中山に対する第一線として村内に豊見城城、長嶺城、瀬長城、平良城、保栄茂城の各城砦を築き、
三山時代の重要な位置を占めた。王府時代、豊見城間切に番所が設置され、現在の村域以外にも、那覇市、糸満市、
東風平町の一部を領域とする大きな村であった。
『豊見城商工会ホームページより』
現況・登城記・感想等
今では高台の公園となっており、夕方で薄暗くなってしまい遺構も分からなかった。取り敢えず、
その公園の写真だけ撮って帰ってきてしまった。
(2002/11/26訪城して)