鎌倉時代、伊達氏により築城、奥州統治の中枢を占めた
所在地
福島県伊達市梁川町字鶴ヶ岡1(梁川小学校他)
形状
平山城
現状・遺構
現状:梁川小学校、中学校、高校等
遺構等:本丸庭園、土塁、石垣、空堀?、説明板
満足度(10点満点)
2点
訪城日
2007/08/14
歴史等
梁川城は、伊達氏によって、鎌倉時代に築城されたとみられ、14世紀末の大膳大夫政宗の頃には、
本城として使用されていた可能性がある。以後伊達氏は室町幕府との関係を深めつつ勢力を拡大し、大永3年(1523)
には稙宗が陸奥国守護に補任され、梁川城は奥州の政治的中枢を占めるにいたった。
天文元年(1532)稙宗が本拠を桑折西山城に移してからは、
伊達領国の重要な支城となった。
小田原の役後の天正18年(1590)には蒲生氏の支城、慶長3年(1598)には上杉氏の支城となり、その後寛文4年(1664)
廃城とされたが、文化4年(1807)から文政4年(1821)の間は松前章広の本拠地となった。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
本丸跡に小学校、二の丸跡は中学・高校となり、往時の景観を偲ぶには及ぶもないが、
この一帯は高台となっており築城の適地であるのは分かる。
小学校校庭奥(東側)には、本丸庭園が残り、その後ろ側には土塁と石垣が残っている。また、梁川中学の近く(阿武隈急行線路脇)
には明らかに堀跡であろうと思われる地があった。
(2007/08/14登城して)
ギャラリー
本丸跡(梁川小学校) 校庭東側(写真奥)には、
本丸庭園
本丸庭園 (庭園の後ろ側には土塁と石垣が残っている)
本丸切岸
堀跡?
梁川中学の近く(阿武隈急行線路脇)には明らかに堀跡であろうと思われる地が。