陸前 若林城(仙台市)

宮城刑務所前の道路端にたつ城址碑と説明板

伊達政宗の隠居城も今は刑務所に

所在地

宮城県仙台市若林区古城2丁目3-1(宮城刑務所)ほか

形状

平城

現状・遺構等

【現状】宮城刑務所
【遺構等】土塁、堀、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2007/08/14

歴史等

仙台藩祖伊達政宗の晩年の居城跡である。当地は戦国時代の領主である国分氏の城があったとされ、城の北側では同時期の屋敷跡が発掘されており、薬師堂(陸奥国分寺跡の地)門前の町場とともに、一帯は政治的・経済的拠点の一つであり交通の要衝であった。城の位置の選定にあたってはこれらの利点を考慮したと考えられる。現在の若林区の区名はこの若林城に由来している。
この城は広瀬川の自然堤防上の微高地に立地する平城である。寛永4年(1627)築城が開始され、翌年に完成した。城の規模は東西約400m、南北約350mで、縁辺には土塁、その外側に堀をめぐらした。
内部には政宗の居所の他、櫓が構えられ、庭園も造られていたとされる。現在も刑務所内にある「朝鮮ウメ(臥龍梅)」は、政宗が朝鮮出兵の際、持ち帰ったとものと伝えられている。
城の周囲には家臣の屋敷や米町、絹布町などの町屋敷が置かれ、小城下町(若林城下町)が形成され、実際に幾つかの家臣の屋敷跡が発掘されている。
政宗は、晩年、正月の行事などに仙台城を訪れる以外は、日常生活の大部分は若林城で過ごしたが、寛永13年(1636)政宗死後は、城下町とともに廃された。城内の建物は、寛永16年(1639)、建設中の仙台城二の丸などに移され、跡地は薬園などとして利用された。
明治12年(1879)宮城集治監が建設され、現在の刑務所に至っている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

若林城跡は、現在、宮城刑務所となっているため、内部を見学するわけにはいかないが、刑務所の北側の門前に石碑と説明板がある。
門番の方に頼んで、門から少しだけ入って、刑務所内の樹木の茂る方の写真を撮らせて欲しいと頼んだら、快く承知をしてくれた。発掘調査中の看板があった。今日は休みだが、普段は毎日発掘しているとのことである。
これだけで、喜んで帰ったが、刑務所の周囲を廻って土塁等を見るのを忘れたことに気が付いた。
あまりの暑さで?、ぼけていたようだ。また、再度訪れたいような処でもないしなあ!?勿論、強制的に入れられるのはもっと困るが・・・!?
(2007/08/14訪れて)

ギャラリー

18世紀末頃の若林城跡(現地説明板より)
DSC01317

若林城(宮城刑務所)内部を
DSC01319

臥龍梅(現地説明板写真より)
現在も刑務所内にある「朝鮮ウメ(臥龍梅)」は、政宗が朝鮮出兵の際、持ち帰ったとものと伝えられている。
DSC01318

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