本丸跡(右は伊達政宗の騎馬像)
伊達政宗が築いた仙台藩62万5千石の本拠
別名
青葉城
所在地
宮城県仙台市青葉区川内
形状
平山城(標高144m)
現状・遺構等
遺構等:復元大手門隅櫓、石垣、土塁、水堀(中島池・五色沼・長沼)、曲輪(本丸・沢曲輪・中曲輪・東丸・二の丸・三の丸)、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
1968/08/07
2001/04/28
2007/08/14
歴史等
今の仙台城本丸にあたる青葉山には、国分氏の築いた千代城(せんだいじょう)があった。しかし伊達政宗の叔父である国分盛重が政宗と対立して出奔すると、千代城は廃城となった。
豊臣秀吉による小田原征伐の前、伊達政宗は、現在の宮城県と福島県の大半を領有する東北随一の大名で、出羽米沢に本拠を置いていた。天正18年(1590)秀吉に帰順し、翌19年(1591)米沢より岩出山城 (宮城県岩出山町)に移封され、72万石から新知行地は58万石へと減らされた。
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に伊達正宗は徳川方に与し、「百万石のお墨付き」を貰った。つまり、現在の福島県南部の5郡、長井郡(山形県南部)、刈田郡(宮城県南部)の計7郡が恩賞として与えられるはずであった。政宗は岩出山城が、領内の北よりに位置し手狭であったため、加封を契機に居城移転を計画し、領国の中央にあった千代城跡を利用して、慶長6年(1601)築城を開始し、翌7年にはほぼ完成、移転して地名を「仙台」と改めた。しかし、家康から本拠地移転の許しは下りたが、加封は刈田郡だけに終わってしまい、仙台の地では南に偏したところとなった。
仙台城は、天守台は築いたが天守閣は建てられなかった。その代り、本丸に桃山風の豪華な本丸御殿を造った。本丸御殿の大広間は、秀吉の聚楽第にも負けない規模と意匠が凝らされたという。また、大手門は、秀吉から拝領した名護屋城の大手門を移築したという。本丸城の建つ青葉山は、三方を深い谷と林に囲まれ、東南の断崖下を広瀬川が湾曲して流れる要害の地である。
また、2代藩主・忠宗は山城で不便であったため、寛永15年(1637)二の丸を整備し、殿舎を築き翌年完成させた。これ以降、藩主の私邸と政庁としての役割は二の丸に移された。
伊達氏は13代260年在城して明治を迎えた。
明治維新後は、本丸御殿は取り壊され、二の丸御殿も明治15年(1882)に火災で焼失した。最後に残っていた大手門と隅櫓も昭和20年(1945)の戦災で焼失した。
『参考資料:「日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)」、「日本百名城・中山良昭著(朝日文庫刊)」、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」』
現況・登城記・感想等
大学3年の時(1968)に東北一周旅行の際に、登城したことがあり、確か、高石垣があり、城内へ渡る橋が飛び降り自殺の名所であるということだけをよく覚えていたが、今回の訪城でそれがどれなのか、時間も少なく、また工事中等々であまりよく分からなかった。
何故か、正宗があまり好きでない私ではあるが、石垣や堀はなかなかのものだ。
車で本丸跡まで登ってしまったのは失敗だったようで、下からいろんな遺構を見ながら歩いて登るべきだったかな。また、もう一度行ってみようと思う。
(2001/04/28訪城後に)
今朝は、まだ8時過ぎというのに強烈な日差しである。前回の登城の時は、石垣を始めとして工事中のため何も見ることが出来なかったので、今回はじっくりと廻ろうと思って登城したが、あまりの暑さのために、その気持ちが揺らぎ始めた(;´▽`A``。仙台は遠いとは言いながら、新幹線でいつでも来れるという気持ちがそうさせるのだろうか?とにかく、朝っぱらから強烈な暑さである。
さて、青葉城は、まさしく天然の要害の地に造られた城であり、それ故、近世の大藩の城の割には石垣が少なく、規模が大きい割りに工費が安く出来たそうである。
今回は復元大手門隅櫓脇を通り、まずは本丸へと向かう。途中、突然、寅ノ門跡の石垣に出会ったが、なかなかかっこいい。
そして伊達政宗の騎馬像が立つ本丸跡に到着。本丸跡からは仙台市街がよく見える。
次に、西ノ門から降りて行き、改修された本丸石垣を見上げると、これまた、なかなかのものである。
この道路反対側に、「天守台→」という案内板があった。「エッ!? 青葉城に天守台なんてあったっけ?」それじゃあ、是非とも捜さなければと思い捜したが、見つかる訳がない。確かに、本丸南東隅に、天守閣建築予定だったと云われる小山はあるが、そこへは登る道もない。案内板の見間違いだったのかなあ?!誰か気が付いた人がいたら教えて下さい。
さて、本丸であるが、本丸には神社や土産物屋さん等々があるだけで、特別見るべきものはないと言ったら言い過ぎ?
他に、清水門跡石垣や沢ノ門跡石垣等々見たい処は一杯あったが、この暑さ!! ギブアップ!!
仙台は青葉城そのものより、政宗の広大な構想のもとに造られた街(山城下の二の丸、三の丸、若林城等も含めて)にこそ見どころが多いのかもと自分に無理やり言い聞かせて次の登城先の政宗の隠居城・若林城 (現在は刑務所)へと向かった。
(2007/08/14登城して)
ギャラリー
仙台城鳥瞰図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大画面に~
寅ノ門跡石垣
道路に突然現れた寅ノ門跡の食い違いの石垣。手前の石垣は切り込みハギ、奥の石垣は野面積み。