駐車場(郭跡)入口に建つ「野辺地代官所跡」の標柱
七戸南部氏分流野辺地氏の城、江戸期は代官所が置かれ、幕末には野辺地戦争の舞台
読み方
のへじじょう
別名
金鶏城(きんけいじょう)、野辺地代官所(江戸時代)
所在地
青森県上北郡野辺地町城内
形状
崖端城
現状・遺構等
【現状】市街地(歴史民族資料館、図書館、駐車場等)
【遺構等】堀、代官所標柱
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2007/08/12
歴史等
城主は七戸南部氏の分かれといわれる野辺地氏だったらしいが、慶長年間までには野辺地城から立ち退いていたと思われる。
江戸時代には代官所が置かれ、明治元年(1868)の野辺地戦争の際は津軽藩兵との激戦の舞台となった。
『サイト南部八戸の古城・館より』
現況・登城記・感想等
郭跡は、歴史民俗資料館や図書館等の施設、及び駐車場になっている。駐車場入口の一角に築山風の坪庭があり、そこに「野辺地代官所跡」の標柱が建っている。
標柱の対面の家の裏には堀が残っており、野辺地川へと繋がっているようだ。
郭跡から野辺地川へは断崖絶壁になっており、川の外側へ廻って遠くから眺めると、要害堅固な立地にあるのが分かった。
尚、歴史民俗資料館には野辺地城に関するものは、ほとんどないとのことであった。
(2007/08/12登城して)
ギャラリー
野辺地城の郭跡
郭跡は、歴史民俗資料館や図書館等の施設、及び駐車場になっている。しかし、資料館には野辺地地域に関するものはほとんどないとのことであった。
堀跡(駐車場入口左側家の裏)
標柱の対面の家の裏には堀が残っており、野辺地川へと繋がっているようだ。草木で大変な藪状態のため、写真では分かりづらいが良好に残る大規模な堀だ。