天然の濠となっている谷
源頼朝の重臣伊沢氏が陸奥国留守職に任ぜられ、留守氏を名乗り居城
別名
高森城、鴻の館
所在地
宮城県仙台市宮城野区岩切字入山
形状
山城(標高107m)
現状・遺構等
現状:公園(高森山)
遺構等:曲輪、空堀、堀切、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/08/13
歴史等
平泉藤原氏滅亡後、源頼朝は重臣伊沢将監家景を陸奥国留守職に任じた。伊沢氏は留守姓を名乗り、岩切城を居城とした。
七北田川の水運にも恵まれたこの地は、東北地方の政治・経済の中心地として大いに栄えた。
貞和2年(1346)足利尊氏は奥州管領として吉良貞家、畠山国氏を任命するが、足利家内部で兄尊氏と弟直義の対立が激化すると、
両者も2派に分かれて争うことになった。留守氏は畠山氏・宮城氏とともに尊氏側に加担したが、正平6年(1351)
ここ岩切城での合戦に敗れ、岩切城は廃城、留守氏は衰えた。
その後、留守氏は伊達氏と親族関係を結んで勢力を回復、藩政時代は水沢
(現奥州市)に1万6千石を領し、一門格に列せられた。
なお、岩切城は元亀年間(1570~1573)留守氏が居城を利府城に移すとともに廃城となっている。
(現地説明板より)
現況・登城記・感想等
車でかなり上まで登ることが出来、登城口には4~5台駐車できる。
ここから、右手の天然の要害ともいうべき深い谷沿いにゆるやかな坂道を登って行くと、5~6分で本丸に辿り着く。
谷はまるで人工であるかのように形が良く、新緑と相俟って実に綺麗だった。
途中、左側に堀切があったが、あまりにも藪化がひどく入って行くのを途中で諦めた。また本丸脇手前に腰曲輪があったが、
これまた凄い藪で入って行けない。
本丸も入り口辺りだけが、藪化していなかったが、奥の方は藪が凄い。入って行こうか迷っていたら、
本丸に建つ東屋で休憩していた地元の年配の方から、「ここはマムシが多いから、長靴なしでは入ってはいけない」と言われ、
入って行くのを諦めた。
本丸周りを眺めると、腰曲輪や物見台、堀切、土塁等々の遺構らしきものがいくつか散見されたが止むを得なかった!残念!!
(2007/08/13登城して)
ギャラリー
㊧登城口(駐車場)に建つ石碑、㊨登城口
市街から新興住宅地の中を「県民の森」へ向かって登ってくると、
その途中に4~5台ほど駐車できる場所があり、石碑が建っている。そこが登城口である。
登城口と石碑を一枚で撮りたかったが3台ほど駐車してたので別々に撮影。
登城道
緩やかな登城道を登り始めると、右側には天然の空堀ともいうべき谷が。
天然の空堀(谷)
谷はまるで人工であるかのように形が良く、新緑と相俟って実に綺麗だった。
堀切
途中、左側に堀切があったが、あまりにも藪化がひどく入って行くのを途中で諦めた。
腰曲輪
本丸脇手前に腰曲輪があったが、これまた凄い藪で入って行けない。
㊧本丸入口に建つ標柱、㊨本丸
本丸も入り口辺りだけが、藪化していなかったが、奥の方は藪が凄い。入って行こうか迷っていたら、
本丸に建つ東屋で休憩していた地元の年配の方から、「ここはマムシが多いから、長靴なしでは入ってはいけない」と言われ、
入って行くのを諦めた。
本丸から眺める
本丸周りを眺めると、腰曲輪や物見台、堀切、土塁等々の遺構らしきものが散見されたが止むを得なかった!
残念!