城址の雰囲気が残る本丸跡近くの登城道(堀底道?)
南部義実の築城、九戸の乱で九戸政美と南部信直の争奪戦が
所在地
岩手県二戸郡一戸町北館
形状
平山城
現状・遺構等
【現状】一戸公園、宅地、畑、山林等
【遺構等】郭、空堀、虎口、標柱
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2002/03/24
2007/08/13
歴史等
一戸城は一戸南部氏の居城で、建長年間(1249~56)に南部義実が築いた。
天正9年(1581)平館城主一戸政包が一戸城主で兄の一戸政連とその子を殺害した。この事件により一戸南部氏は滅亡した。
天正19年(1591)九戸の乱の際に、九戸政実側の手に落ちたが、秀吉の奥州仕置軍に攻められ落城、廃城となった。
【九戸の乱】
九戸政実は、南部晴政・晴継が相次いで没した後、三戸南部氏の惣領に実弟の実親を擁立しようとするが、反対派の推す晴政の養子・信直が当主に迎えられたことに不満をいだいた。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置後、各地で領地を没収された各氏の遺臣が一揆を起こし不穏な情勢になると、政実もそれに乗じて天正19年(1591)3月、独立を策し南部氏信直に叛逆した(九戸の乱)。
信直は、これに対し苦戦を強いられたが、秀吉の送った奥州再仕置のための浅野・蒲生軍が到着すると各個撃破され、九戸城も蒲生氏郷率いる大軍により囲まれた。奮戦するも謀略により九戸城は落城した。
現況・登城記・感想等
ほとんど遺構らしきものは何も残っていない。小さな公園になっていて、国道と反対側がちょっとした崖になっているのが分かる程度。
(2002/03/24訪城後)
前回、城址のはっきりした痕跡を認められず、がっかりして帰った城址であるが、たまたま近くを通ったので、再度登城してみた。
当然、今回も、特にこれといったものも見つからなかったが、ただ、城址の雰囲気のある登城道(堀底道)を歩いて行くと、本丸虎口近くに鳥居が建ち、その近くに古くて薄汚れた「一戸城跡」の標柱を見つけた。
また、その下あたりに、空堀跡らしきものも見つけた。尤も、強烈な藪なので写真では全く分からないだろう。
尚、本丸跡に「一戸城址に桜の木を」との標柱を見つけた。桜の木もいいけど、せめて城址の説明板くらい欲しいなあ!
(2007/08/13登城して)
ギャラリー
本丸虎口近くに建つ鳥居と標柱
城址の雰囲気のある堀底道を歩いて行くと、本丸虎口近くに鳥居が建ち、その近くに古くて薄汚れた「一戸城跡」の標柱を見つけた。