武蔵 東別府館(熊谷市)

東別府館跡とされる香林寺の門

(東)別府氏の館? or 別府城の一郭?

別名

別府城

所在地

埼玉県熊谷市東別府799、香林寺
香林寺:電話048-532-7577

形状

現状・遺構等

現状:香林寺他
遺構等:堀?

満足度

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歴史等

東別府館は、成田助隆の次男行隆が平安の頃に築いたといわれる。
別府氏は、成田氏系図によると、成田助隆の次男行隆が別府に住んでから、その子太郎能幸は東別府に、次郎行助が西別府に数代相対して領地した。
太郎能幸に始まった東別府家は、それから11代目の尾張守長清まで続いたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐に際して、 後北条方についたために家禄を失ったため、別府城とともに廃館になったと思われる。
尚、香林寺境内は、字中廓といい、字名を考慮すると、西方約200mほどにある別府城と方形郭が連続する縄張の一郭であるとする説とそれぞれ別々の城館であるという説があるが不明である。
『「別府城説明碑」、「中世武蔵人物列伝・埼玉県立歴史資料館Ⅱ編(さきたま出版会刊)参照」』

現況・登城記・感想等

香林寺が館跡である。遺構はほとんど残っておらず、寺の東に隣接する田んぼの水路が水堀の名残といえばそのように見えるが・・・?
尚、香林寺由来説明板によると、同寺も別府氏による建立で、建久8年(1197) 源頼朝が来山した時の御手植松の跡に明治4年に碑が建立されたとあったので境内を捜し廻ったが見付からなかった。
(2009/08/28訪れて)

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