皿尾城跡に建つ大雷神社
忍城の出城か?、後には忍城攻めの陣城に
所在地
埼玉県行田市皿尾404、大雷神社
【行き方】
ナビで皿尾404を指定したらすぐ傍まで、すんなり行け、簡単に見つけることができたので省略します。
形状
平城
現状・遺構等
現状:大雷神社、農村センター等
遺構等:土塁、堀、石碑
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2009/08/28
歴史等
伝承によると、永禄4年(1561)上杉輝虎(謙信)が、忍城の成田長泰に備える為に築き、
木戸監物入道玄斎を城主として置いたといわれる。
しかし今では、それ以前に成田氏によって忍城の砦として築かれたとする説が大勢を占めるようだ。
そして、それを謙信が攻略し、謙信の死後、成田氏が奪い返したとみるのが順当なようだが・・・。
また、天正18年(1590)の石田光成の忍城攻めの際には陣城として利用されたといわれる。
『埼玉の古城址(有峰書店新社刊)他参照』
現況・登城記・感想等
大雷神社と農村センターの辺りが皿尾城跡である。神社の北や西側は水田地帯になっており、
往時は沼に浮かぶ堅固な城であったのであろう。
神社を取り囲むように、背後に高さ1mほどの低い土塁が残り、北側や東側の土塁の外側は、
かなり埋まってはいるが窪地になっていたが空堀跡だろうか?
神社境内の西側の農村センター(小さな建物)との間にも溝があるが、これも空堀跡とのことだ。
また、農村センターの南側には小さな石碑がたっている。
(2009/08/28訪れて)
ギャラリー
神社背後(北側)の土塁
神社の背後をコの字形で取り囲む土塁跡は、高さは、せいぜい1mほどのものであるが、はっきりと残っている。
この北(写真左)側は、雑木林と藪で、よく見えなかったが低くなっており空堀跡であろうか?
神社東側の土塁と空堀?
東側の土塁の外側は、かなり埋まってはいるが窪地になっていたが空堀跡だろうか?
空堀
神社境内の西側の農村センター(小さな建物)との間にも溝があるが、これも空堀跡とのことだ。