館跡と伝わる永光寺山門、左には説明板、右奥に萬霊搭
武蔵七党の一つ・猪俣党の内ヶ島氏の館
所在地
深谷市内ヶ島644、永光寺周辺
形状
館
現状・遺構等
現状:永光寺他
遺構等:標柱、説明板
満足度
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訪城日
2009/09/06
歴史等
平安時代の末、武蔵七党の一つ・猪俣党の国綱が内ヶ島五郎と称してこの地に住み、内ヶ島氏の祖となった。
内ヶ島氏館跡は、永光寺付近と言われ、近年まで遺構があったが、現在は残っていない。面積は約2町歩くらいと考えられる。
地内の小字に西廓・東廓・南廓などの館跡に関連する地名が残されている。
永光寺の開山は了慧法印、開基は内ヶ島五郎と伝えられる。
『永光寺説明板より』
現況・登城記・感想等
遺構は全く残らず、永光寺の山門傍に標柱と山門横の塀の内側(外側を向いている)に「内ヶ島氏館跡と永光寺」
の説明板が設置されているだけである。
内ヶ島氏というと、帰雲城の内ヶ島氏を思い起こすが、
その祖先にあたるようだ。
(2009/09/06訪れて)
ギャラリー
山門内側にたつ「内ヶ島氏館跡」の標柱
山門脇の塀の内側に立つ「内ヶ島氏館跡と永光寺」の説明板