ピンク色の堂宇の壁面に大きな館名、横には説明板
武蔵七党の一つ猪俣党荏原氏の館
所在地
埼玉県深谷市江原84-1
北深谷病院の北東約800mに位置し、県道45号線沿い南側にある。
北深谷病院:江原350、電話048-573-0801
形状
館
現状・遺構等
現状:摩利支天堂他
遺構等:摩利支天堂宇の壁面に館名、説明板
満足度
-----
訪城日
2009/09/06
歴史等
荏原氏館は、鎌倉末期に武蔵七党の一つ猪俣党に属した川匂政重がこの地に居住して荏原太郎と名乗ったと伝えられている。
室町時代に起きた「上杉禅秀の乱」で、荏原氏は禅秀側に付いたために滅亡した。
現況・登城記・感想等
真言宗摩利支天堂の周辺3町(約327メートル)に及ぶ範囲が荏原氏館跡とのことだが、遺構は全く残っていない。
ピンク色の派手な堂宇の壁面に大きく荏原氏館跡と記され、その横に説明板が設置されている。これだけ派手だと、
県道45号線を車で走っても見逃すことはないだろう!?
説明板によると「現在では館の痕跡を見ることはできないが、利根川の堤防の一部は、かつて館の土塁であり、戦国時代末期、
豊臣秀吉による小田原征伐の際に、忍城の水攻めのため、
石田三成の指揮により、取水施設として改修されたものと伝えられている。」とのことである。
(2009/09/06訪れて)