主郭土塁前に立つ小さな城址碑
名門千葉氏発祥の地か?
所在地
千葉県千葉市緑区大椎町
形状
平山城
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、空堀、土塁、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2006/11/18
歴史等
大椎(おおじ)城は平安時代中期、上総・下総に強大な権力を持っていた平忠常が築城し、長元の乱(1027~1031)
を起こした根拠地と云われている。この忠常は平将門の叔父であった良文の孫にあたり、当時不当な貢税を課した受領(国司)
の暴政や貴族権力に反抗した。
この乱の後、忠常の子・常将が初めて「千葉氏」を名乗り、常長・常兼と続き、その子・常重は大治元年(1126)、
この城から千葉城
(猪鼻城・湯の花城)に移り廃城になったと考えられている。
しかし、「図説・房総の城郭・(千葉城郭研究会編)」によると、「この地はもともと源頼朝に滅ぼされた上総氏の領するところでもあり、
千葉氏がここから興ったというのは史実ではなく伝承の域を出ない。」としている。
戦国期には、土気城主酒井氏が村田川流域を押さえる支城として大規模な改修をしたと考えられる。
尚、千葉氏系流は戦国末期の重胤を経て更に現代の千葉胤雄・勝胤までほぼ1千年40代に亘って続いており、千葉県で各地に多く繁栄している。
『「現地説明板(2箇所)」、「図説・房総の城郭・(千葉城郭研究会編)」より』
現況・登城記・感想等
城跡は超高級住宅地「One Hundred Hills」(通称チバリーヒルズ?)の裏山(西側)にあり、
すぐ分かったが駐車場所と登城口がなかなか見つからず苦労し、城址の南にある長興寺(大椎町471)の駐車場を拝借した。
従来は城の南側からも登城出来たようであるが今は閉ざされ、城の東側(チバリーヒルズの西側崖下)だけのようであるが、
歩道がよく整備されていた。
城郭は、3本の堀切で区切られた非常に単純な連郭式城郭であるが、曲輪跡、土塁、空堀等の遺構が良好に残り、
東側2本の堀には折れが見られる。その4つの曲輪はそれぞれかなりの広さである。
(2006/11/18登城して)
ギャラリー
大椎城の図 ~クリックにて拡大画面に~
3本の堀切で区切られた非常に単純な連郭式城郭である。
案内板
超高級住宅地「One Hundred Hills」(通称チバリーヒルズ?)
の西側崖下が登城口になっている。写真右のガードレール横の道を入って行くと遊歩道になり城跡に行ける。
登城口から見たチバリーヒルズ
山麓の土塁と曲輪跡?
往時のものではないかもしれないが、いかにもそれっぽいので撮ってみた。
遊歩道のように整備された登城道が続く。
土橋
両側の空堀はかなり深い。こちらは搦手口か?
搦手虎口?
このまま空堀の堀底道へと続く。
空堀
屈曲して横矢がかかった構造になっている。この空堀が最大の見どころだろう。
土塁と曲輪
右の土塁の右側はかなり深い空堀になっている。