下総 大椎城(千葉市)

名門千葉氏発祥の地

所在地

千葉県千葉市緑区大椎町

形状

平山城

現状・遺構

現状:山林
遺構等:曲輪、空堀、土塁、石碑、説明板

満足度(10点満点)

3点

訪城日

2006/11/18

歴史等

大椎城は平安時代中期、上総・下総に強大な権力を持っていた平忠常が築城し、長元の乱(1027~1031) を起こした根拠地と云われている。この忠常は平将門の叔父であった良文の孫にあたり、当時不当な貢税を課した受領(国司) の暴政や貴族権力に反抗した。
この乱の後、忠常の子・常将が初めて「千葉氏」を名乗り、常長・常兼と続き、その子・常重は大治元年(1126)この城から、 千葉城 (猪鼻城・湯の花城)に移り廃城になったと考えられている。
その系流は戦国末期の重胤を経て更に現代の千葉胤雄・勝胤までほぼ1千年40代に亘って続いており、千葉県で各地に多く繁栄している。
大椎城跡は千葉市街より東へ約10km離れた村田川上流の標高80mを測る急峻な台地上にあり、現在でもその保存状態は極めて良好である。 今まで発掘調査は行われていないが、昭和46年に千葉市史編纂事業の一環として測量調査が実施され、 東西に延びる舌状台地を4つの空堀で区切った連郭式の城であることが明らかになった。
『現地説明板(2箇所)より』

現況・登城記・感想等

城跡は超高級住宅地「One Hundred Hills」(通称チバリーヒルズ?)の裏山(南側)であり、 すぐ分かったが登城口と駐車場所がなかなか見つからず苦労した。従来は城の南側からも登城出来たようであるが今は閉ざされ、城の北側 (チバリーヒルズの南側崖下)だけのようであるが、歩道がよく整備されていた。
城郭は平安時代のものでもあり、3つの堀切で区切られた非常に単純な連郭式城郭であるが、堀切も曲輪跡も良好に残っている。 その4つ曲輪はそれぞれかなりの広さである。
(2006/11/18登城して)

ギャラリー

大椎城の図  ~クリックにて拡大画面に~
3つの堀切で区切られた非常に単純な連郭式城郭である。

案内板
超高級住宅地「One Hundred Hills」(通称チバリーヒルズ?) の南側崖下が登城口になっている。写真右のガードレール横の道を入って行くと遊歩道になって城跡に行ける。

大椎城山麓から見たチバリーヒルズ

山麓の土塁と曲輪跡?(往時のものではないかもしれないが、いかにもそれっぽいので撮ってみた)

遊歩道のように整備された登城道が続く。(これも往時の道ではないであろう)

土橋(両側の空堀はかなり深い。こちらは搦手口らしい。)

搦手虎口(このまま空堀の底道へと続く)

空堀(屈曲して横矢がかかった構造となっている)

土塁と曲輪(右の土塁の右側はかなり深い空堀になっている)

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