常陸 笠間城(笠間市)

笠間氏による中世の山城が近世の城郭として明治まで続いた希少な城

別名

桂城

所在地

茨城県笠間市笠間

形状

山城(標高182m)

現状・遺構

現状:山林(笠間自然公園)
遺構:本丸跡、天守曲輪跡、八幡台跡、石垣、土塁、空堀、八幡台櫓(山麓の真浄寺に移築)

満足度(10点満点)

7点

訪城日

2006/03/04

歴史等

承久元年(1219)笠間(宇都宮)時朝が築城に着手した。笠間氏は天正18年(1590) の小田原の役で北条氏に加担したため滅亡した。
城は宗家の宇都宮氏に属したが内紛により所領没収となり、慶長3年(1598)蒲生氏の支城となり、城の大改修が行われた。
同6年(1601)以降、松平・小笠原・戸田・永井・浅野・井上・本庄・井上(再)の各氏が城主となり、延享4年(1747) 牧野貞通が入封し、8代続き明治を迎える。中世の山城がそのまま近世の城郭となった数少ない例である。
『日本城郭大辞典(新人物往来社刊)参照』

現況・登城記・感想等

関東では珍しい規模の大きい石垣が残っている山城ということで、非常に大きな期待を持って登城した。
大手門跡の前にある千人溜り跡が駐車場になっていた。大手門跡の前に空堀跡が残っていた。 その堀を渡る大手橋の部分が今では土橋になっていた。大手門跡の横に少し石垣が残っていた。その奥にる石段があり登りきると、 かなり広い二の曲輪跡に出た。
二の曲輪はかなり山を削ったのであろう正面は八幡台櫓のあった高い壁になっていた。その脇を進むと本丸跡に出た。 本丸跡はそれほど広くはなく、右上に八幡櫓跡の石碑が見える。この櫓台からは眼下に笠間市街、 その向こうには筑波山などの山並みがよく見える。ここまでは、期待の石垣はほとんど無い。
本丸からさらに奥に行くと、堀切跡があり、ここには東櫓門があったのであろう。今では、この堀切を渡るのも土橋になっている。
そこから先が天守曲輪跡であろう。そこから見える天守への登城道(石段)は最高ロケーションであり、まさに絵になる。さすが、 関東には珍しいと云われる石垣の城である。
天守櫓台には社が建っていた。確か、佐志能神社であったはずだが、「八目神社」と書かれた新しい額を取り付けている人がいる。 あれっと思い聞いてみると、来年の正月映画「武士の一分(キムタク主演)」の撮影の準備をしているそうである。どうりで、 本丸跡にトラックが止まっており、しかも仮設トイレと手洗い場を設置していたわけだ。
天守櫓台やその周りは実に狭く、しかも石垣もあるにはあるが、大きな岩がゴロンゴロンしている。 よくこんな所に櫓を建てたものだと思うと同時に、よく崩れないでいるものだ。ここからは、鬱蒼とした木々の間から眼下に町並みが見える。
石垣そのものは、西日本の城と較べると大したことはないが、東櫓門跡のところから見える登城道は実に素晴らしく、 下城の時にもまた長い時間たたずんで見ていた。
(2006/03/04登城して)

ギャラリー

笠間城絵図   ~クリックにて拡大画面に~

千人溜り跡(千人は大袈裟な様な気がするが、 山城でこの広さなら、まあそうかな~!?)

大手門跡

二の曲輪跡

本丸跡(右奥の高い所が八幡台櫓跡)

八幡台櫓跡

八幡台櫓跡からの眺望


東門櫓手前の堀切

天守曲輪への石段 ① (ここが何と云っても最高のロケーションである。手前に堀切があり、その向こうに東櫓門があったようである。)

天守曲輪への石段②

天守台(天守曲輪の入口にあたり、 天守そのものは数段上の曲輪にあった)

天守曲輪への石段③ (上写真のすぐ右手前の石段にあたる)

天守への最後の石段
キムタク主演の「武士の一分」の撮影準備で、 小道具さんが荷物運びやセット造り等々を

天守跡にある本来は「佐志能神社」(撮影準備で、 今日は「八目神社」に変身)

天守(現神社)の岩と石垣の土台
神社裏側から撮影。それにしても大きな岩がゴロンゴロン。よく崩れないものである。

天守(神社) 建物の土台の石垣長いときを経て歪んだものか?)

八幡台櫓(山麓の真浄寺に移築されている)

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