神明大権現神社の土壇(古墳)の上に立つ城址碑、下段の石碑は神明大権現神社由来の碑
源姓塩谷氏の重臣矢板盛兼によって築かれた平城
所在地
栃木県矢板市本町
【アクセス】
矢板小学校の北側を走る道路沿い南側に神明大権現神社の土壇があり、その上に「矢板城跡」と刻まれた石碑が建っている。
矢板小学校:矢板市本町4-23、電話番号0287-43-0043
形状
平城
現状・遺構等
現状:市街地
遺構等:石碑のみ
満足度
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訪城日
2010/11/20
歴史等
矢板城は、築城年代は定かでないが源姓塩谷氏の重臣矢板重郎盛兼によって築かれ、その後、代々矢板氏の居館になったものと思われるが、
その歴史は、ほとんど伝承が無く定かではない。
塩谷氏の居城である川崎城の北の守りの支城として機能していたと思われる。
現況・登城記・感想等
矢板城は、健康福祉センター、NTT、矢板小学校などが建ち並ぶ本町地区一帯に築かれていたようだが、
宅地化により遺構はほぼ消滅してしまっている。
石碑の立つ神明大権現神社の土壇は、古墳だということだが、これが矢板城の土塁或いは櫓台として利用されていたどうかは分からない。
尚、石碑の裏側は「矢板周防守長則顕彰碑」とあり、「永禄元年(1558)に上杉謙信が下野に攻め入ってきた時に、長則が陣頭奮戦し、
寄手を敗走させ郷土を守った」とある。また、「矢板城は、旧矢板農学校、現矢板保健所やNTT周辺である」とも記されている。
(2010/11/20)