下野 榎本城(栃木市大平町)

大中寺墓地にある本多忠純の墓

小山氏一族の榎本氏により築城、江戸初期には本多正純の弟忠純が入封

所在地

栃木市太平町榎本(法宣寺 の北から西にかけての一帯)
*法宣寺:栃木市大平町真弓1263、電話0282-43-5358

形状

平城

現状・遺構等

現状:宅地、田園ほか
遺構等:土塁、水堀、石碑、説明板、本多忠純・榎本高綱・近藤出羽守の墓

歴史等

榎本城は、永禄元年(1558)に小山氏一族の榎本高綱によって築かれたと伝えられる。
戦国時代には、皆川氏・佐野氏・後北条氏・結城氏らの勢力の接点にあったため、幾度も争奪戦が繰り広げられた。
慶長10年(1605)、本多正純の弟忠純が榎本1万石を与えられて入封、その後大坂の陣の戦功により皆川1万8千石を加増された。
榎本本多氏は、忠純-忠遂-犬千代と3代続くが寛永17年(1640)に犬千代が5歳にて死去したため無嗣子廃絶となり、 榎本城も廃城となった。
『とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)ほかより』

現況・登城記・感想等

榎本城跡は、八坂神社の東方で、聖天院の北方法宣寺付近一帯に及ぶ所に位置し、城域は東西約600m、南北約400mにもなる。
今では、宅地・田園・社寺境内などになっているが、各所に堀跡や土塁などの一部が残っているそうだが、 今回は夕方で薄暗くなってしまったので、*大中寺にあるという本多忠純の墓だけ見に行った。尚、大中寺には榎本城主であった榎本高綱・ 近藤出羽守の墓もある。
また、いつか出直しましょう!?
(2010/11/20)

*大中寺:栃木市大平町榎本880、0282-43-5354

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