上野 大胡城(前橋市)

本丸を東西2段の高さに分ける石塁と虎口

藤原秀郷の流れをくむ東毛の豪族大胡氏の城

所在地

群馬県前橋市大胡町

形状

平山城

現状・遺構

遺構等:曲輪、土塁、石垣、空堀、虎口、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2006/09/30

歴史等

大胡(おおご)城は、天文年間(1532~1555年)に築城されたといわれる。城主は、 藤原秀郷の流れをくむ地元東毛の豪族大胡氏であった。戦国時代は、山内上杉家に属していたが、川越夜戦で山内上杉家の勢力がなくなると、 北条氏に攻められ開城する。
北条氏の家臣になった大胡重行は、天文年間(1532年~1555年)江戸の牛込に牛込城を築き移る。 大胡城は北条直轄の城となるが、豊臣秀吉の小田原攻めで落城。
天正18年(1890)徳川家康の関東入部により牧野氏は大胡藩2万石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。元和2年(1616) に長嶺へ転封後、前橋藩領となり、酒井氏時代に城代が置かれたが、寛延2年(1749)姫路へ転封し廃城となった。
城址は南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二ノ丸を囲郭的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四ノ曲輪があり、 東は荒砥川が流れ、その間に根小屋、西には西曲輪の平野部が附加され、南北670m、東西最大巾310mの規模を測り、枡形門、 水ノ手門虎口、空堀り、土塁等の跡が良く残っている。
『現地案内板、サイト「戦国時代の城」より』

現況・登城記・感想等

大胡城は上毛電鉄「大胡駅」を北へ1kmほど行った高台の上にあり、城跡の下のトンネルをくぐり抜けた所が二の丸跡で、 広い場所があり駐車が出来る。
二の丸跡には食違い虎口(枡形門)の石垣が良く残っていたが、草茫々で蛇が出そうで、中まではとても入って行けなかった。
本丸周囲(特に、北西側)には空堀が良好に残っている。本丸は結構高い土塁で囲まれており、東側半分が石塁で一段高くなっている。かなり、 眺望は良いのであろうが、これもまた茫々たる草に阻まれて、土塁の上の方までは行けなかった。
草に阻まれた登城ではあったが、町中の低い丘の上の城址としては、遺構がよく残っており、それなりに満足した。 草が枯れた冬にやってくると良いだろうな。
(2006/09/30登城して)

ギャラリー

本丸東側への虎口(TOP写真の手前部分)

本丸東側
本丸東側は特に草茫々で、途中まで入っていったが眼下の眺望を見ずに引き返した。

本丸を囲む土塁(かなり高い土塁で囲まれている。特に、西側・北側は高い土塁が残っている。)
本丸西側の土塁(左写真)と北側の土塁(右写真)
 

本丸への虎口?
本丸の北西部に二の丸から本丸への土橋と虎口があったが、これは当時のものではなく、 本丸内の草刈等々の整備の為に最近になって造成されたもののようだ。しかし土塁の高さは、なかなかのものである。

本丸西側の堀(なかなか良好な形で残っている)

二の丸の枡形門跡の石垣
あまりにも草茫々で外側からは見ることが出来なかった。

二の丸水の手門跡(向こう側は三の丸)

大胡城遠景(東側を流れる荒砥川の土手から撮影)

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